2009年11月10日

夜の女王とレクイエム

過去の嫌なジンクスを破り、念願であった NHK 杯を制したことと、
五輪選考にも影響する GP ファイナルへの出場資格を得たことに
安堵した優勝だった。
大切な試合、大きく崩れることもなく結果に繋がり、良かったと思う。
ただ、課題も多々残された、苦い優勝でもあった。

安藤選手の談話に度々見受けられる「自分らしく」という言葉。
この「自分らしく」とは、一体何であろうか。

NHK 杯、SP では気持ちが入らなかったことを悔やんでいたが、
それには 3 回転の連続ジャンプを控えたことに気持ちの揺れがあったと聞いた。
大会前、スピンやスパイラルを重点的に練習し、
さらには表現力に磨きをかけて Program Components の強化に取りくみ、
結果、おおむね 7 点台という評価も得られた。
確かに現行の採点方式ではリスクの大きい高難度ジャンプに執拗に拘るよりも、
POS で高い評価を得ることは重要だし、
芸術性の優れた演技は、フィギュアスケートの魅力ともいえる。

だが安藤選手には、安藤選手にしか出来ない高難度ジャンプがある。
トリプルルッツ、トリプルループの連続ジャンプ。
そして、4 回転も。
そう。「ジャンプの安藤」を忘れないでいて欲しいのだ。

このたびの大会の消化不良は自分らしさに欠けた演技。
自分らしさとは何であるか、安藤選手が一番よく知っている。
その上で、技術、芸術性、両方を兼ね備えなければならないこと、
その難しさを今まで以上に、より現実的に、認識できたことは安藤選手にとって、
課題が明確である分、良い収穫だったといえるのではないか。
曖昧な気持ちを引きずったままにせず、
コーチとよりいっそう真剣に向き合って自分らしさを追及していって欲しい。


さて。話は変わるが。
ロステレコム杯直前に SP が変更されて以降、
私の中では思考が止まり、煮え切らないまま、悶々としたものを抱えたまま、
この 2 大会を見守ることとなった。
それこそ消化不良をおこした状態で観戦するに至ったのだ。

「Queen Of The Night」から「REQUIEM」への変更。
「Queen Of The Night」(夜の女王)では、
観客の理解を得るのが難しいのではないかという懸念と、
楽曲よりも安藤選手のインパクトが強すぎるからとの判断で変更されたと聞く。
私は首をひねった。
解り易さやストーリー性の有無が、それほど重要だろうか。
本人のインパクトが強すぎると曲の「面白さ」まで台無しにしてしまうだろうか。

昨シーズンの「交響曲第 3 番オルガンつき」は、明確なストーリーが
あったわけでもなく、特段に解り易い曲というものでもなかったはずだし、
曲よりも選手のインパクトが強いという点に、問題があるとは思えない。
楽曲を安藤選手の想いのままに、大胆に創り上げていく、そうすることで、
「夜の女王」がもつ独特な個性も引き立たせることができるのではないか。

単調に繰り返される不気味な旋律を上手く利用して、安藤選手の色に染め上げ、
妖艶な魅力を最大限に活かすことができれば、
これほどカッコ良くて、強烈な PG はないだろうと思う。
さらに「夜の女王」なら、決められたエレメンツを
余裕をもって組み込めるのではないだろうか。
想像力を膨らませ、安藤選手の想うがままに、思う存分演じきることが出来る曲。
そう思えてならないのだ。

それと「REQUIEM」もまた同様に、もったいないと思った。

Ice Jewelry 2009、あるいは THE ICE で魅せた「REQUIEM」。
あの感動の演技を採点の対象 にしてしまうことに少なからず抵抗を感じた。
ショーで魅せた、冒頭の頭を抱えて 5 回まわり、両手でバンッと決めるところ。
空に向けた両手を広げながら走るところ。
倒れこんだのち、右手で何かを追うようなしぐさ。
安藤選手の驚愕や哀しみや追憶の感情が込められていた振り付けが、
2 分 50 秒の SP では端折られてしまった。
「REQUIEM」は鎮魂の楽曲だ。
髪は下ろしたまま。スカート部分は長め。照明はピンスポット。
そのすべてが先のショーで素晴らしかっただけに、もったいなくて仕方がない。

judgment すら及ばない領域。安藤選手の神々しいまでの美しさ。
私は五輪の EX で、最後の最後に、この「REQUIEM」を観たい。
安藤選手が競技を超えて、魂を込めた祈りを捧げる、感動のステージで観たいのだ。


・・・・と好き勝手なことを書いてしまったが、
悩みに悩んだ末、恐れながら進言しておきたかった。
ファンの声に耳を傾ける心優しい安藤選手に、戸惑いを誘うようなことを
云いたいわけでは、決してない。
SP に迷いがあるのなら、原点に戻って考えてみて欲しいのだ。
ジャンプやスピンといった各要素を無理なく組み込める PG 。
「REQUIEM」に込めた特別な想い。
心から滑るとは、どういうことか。
もういちどコーチと、戦力も含めて考えてみることも必要だと思う。


安藤選手が自分らしく、リンクの上で笑顔をみせてくれることを願って。

posted by マキティ at 23:22| Comment(7) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

GPS 2009

美姫ちゃん ロステレコム杯 NHK 杯
優勝おめでとうございます !!



posted by マキティ at 21:23| 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

Queen Of The Night

10 月 3 日、さいたまスーパーアリーナにてカーニバル・オン・アイスが行われた。
安藤選手は今季の SP「 Queen Of The Night 」を披露。また、
クレオパトラをテーマにした FS の演技も、アンコールの短い時間ではあったが、
ベールに包まれていたその姿を観衆の前で披露した。

TV 放映された翌日、安藤選手から SP について
「ファンの目から観て、どう思うか教えて欲しい」といった趣旨の書き込みが
掲示板に挙がった。
私も 2 度ほど書き込みをしたが、怒涛の如く寄せられた多数のメッセージには、
どれもこれも安藤選手への溢れんばかりの熱い想いが込められ、
中には思わず涙するような愛情に満ちたものもあった。

「Queen Of The Night」は
映画「英国式庭園殺人事件」の音楽、作曲はマイケル・ナイマン氏。
繰り返されるフレーズが不安を煽り、不気味な妖しさ漂う私好みの楽曲だ。
衣装は黒と紫を基調に胸元にはクモの巣、さらに大きいクモのフィギュアをつけ、
クモの糸が光って見えるような工夫も施されていた。
この独特な音楽と衣装にファンが感じた印象は、肯定、否定的と 2 つに分かれた。

人には、
太陽が放つ眩しい光、曇りのない煌びやかな表の世界もあれば、
闇夜に彷徨う得たいの知れない翳、裏の世界も心の中に存在する。 
そして、翳の部分を隠そうと、在りもしない虚構をちらつかせ生きている。
本性を曝け出せ、嘘を暴いてやろうと云わんばかりに、挑発するもの・・・。
私はそういうものを、このPG から感じた。

人の心の奥に棲む闇。その象徴がクモのような気がしたのだ。

罠から逃れようともがく人間の業の深さを、嘲るように不敵な笑みで、
安藤選手には演じて欲しい。
美しい毒グモに惑わされるまま、スリリングな世界へと吸い込まれたいのだ。 

そして、この PG を演じきるのは安藤選手より他にないとさえ思っている。
綺麗ごとを並べて近づいてきた揚げ句、あっさり裏切っていった者たち。
金にものを云わせて、薄汚れた裏社会で不穏な動きをする者たち。
不当な仕打ちに何度となく悔しい思いをさせられた安藤選手ならば、
陥れられた暗闇を知っているからこその演技ができるのではないかと思う。


カーニバル・オン・アイスの会場では、曲かけの不手際があったと聞いた。
加えて時差による極度の疲労のせいか、満足のいく演技ではなかったようだ。
それは敏感に観衆にも伝わってしまう。
あまりにも意表をついた PG に戸惑いもあったのかもしれない。
ファンのなかには、オリンピックシーズンには適わないという声もあった。

だが、五輪の舞台が、初めて演ずる場面だろうか。
その前にはグランプリシリーズもあれば、国内では全日本選手権もある。
この PG がその頃までに、どこまで妖しくも独特な世界観を広げられるかは
安藤選手しだいなのだ。


「 Queen Of The Nigh 」夜の女王。
その象徴とされるクモが織りなす闇の世界が、
このまま閉ざされることのないよう願いたいものだ。
そして演じるならば、
徹底して妖しい「 SPIDER WOMAN 」を演じる安藤選手が観たい。

posted by マキティ at 23:38| Comment(13) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

強い気持ちで〜安藤美姫

今年は冷夏といわれた。
さほど気温が上がらなければ、そういうことになるのだろう。
だからといって、暑さが凌ぎやすかったわけではなく、
鬱陶しくジメッとした、梅雨のように蒸し暑い日が続いた。
わが家では、私が腰を痛めたり愛犬がヘルニアになったりで、
これといったイベントもなく静かに「らしくない夏」が過ぎ往くのを見とどけた。

9 月も終盤になると、さすがに朝や夜は涼しくて秋の訪れを感じるが、
そうなってくると、いよいよ来るべきシーズンが目の前に迫ってきて、
胸の奥がザワザワ騒がしく、何ともいえず落ち着かない。

辛い結果に終わった 07〜08 シーズンも
どん底から這い上がった 08〜09 シーズンでも
ここがゴールではない、全てはまだこれからと、
心のどこかに、ほんの僅かながら余裕のようなものが私の中にあった気がする。
だが、今季はそうは云っていられない。
待ったなしの、オリンピックシーズンが廻ってきたのだから。 

カウントダウンで息苦しくなった胸を、メディアが挙って逆なでしてくれる。
些細なことに、見えない何かに、わけもなく脅えてしまう。
得体の知れない恐怖に押し潰されそうで何処かへ逃げ出したくなる。
ときおり、そんな気分に苛まれるのは私だけであろうか。
今季を楽しみにしているとファンの声が聞こえてくる中で、
臆病で心配性の私だけが、この時期になっても、いまだ臨戦態勢をとれずに
とり残されている気がするのだ。

選手を応援するブログで、こんな弱気なことを呟いていいのか。
何故、不安を煽るようなことをわざわざ発言するのか。
その答えはいたって簡単。
今ここで、胸の内のネガティブな部分を吐き出しておきたい、それだけだ。
本格的にシーズンが始まれば、
(あの時に何をすべきであったかなどと後ろを振り返ることも)
逃げ出すことも、弱音を吐くことも出来ないからだ。
私はこれを自分自身にいい聞かせておきたいと思う。

安藤選手には千載一遇の好機を逃すことのないよう、
残り僅かとなった貴重な時間を大切に、
大切に過ごしていただきたいと心の底から願う。
来るべきシーズンへ向けて、
準備万端ぬかりなく、強靭な身体と誰よりも揺るぎない精神で臨んで欲しい。


さて。
先週末( 9/19 )ISCC(コネティカット国際スケートセンター) での
New England Competitor Exhibition において
安藤選手は今季の SP を披露したとのことである。
続いて今週末( 9/26 )には、
Stars, Stripes & Skates( Danbury Ice Arena )への出演。
さらには、さいたまスーパーアリーナにおいて
カーニバル・オン・アイスに出演が予定されている。( 10/3 )

競技やショーの前には、選手の談話を耳にする機会も多く、
安藤選手はオリンピックに対する意気込みを「前回より何百倍も強い気持ち」
とし、また、
「大事なシーズン。しっかりとした気持ちでハードに練習しないといけない」
との言葉もあった。

振り返れば、主力選手として注目を浴びるようになって以来、
その発言にも多くの関心が寄せられ、
嬉しくない事態に陥ることも少なからずあったように思う。

思っていることと、咄嗟に口をついて出た言葉が上手くかみ合わなかったことも。
考えぬいて選んだ言葉がマスコミによって捻じ曲げられて悔しい思いをしたことも。
不器用なまでに正直な性分が、裏目に出ることもあった。

トリノオリンピックの頃、「笑顔で滑れるように」とのコメントが多かったのは、
追いつめられても屈しない心、負けない自分自身への、
半ば無理やりに作った「笑顔」のようにも見えた。
無論、安藤選手にしてみれば「笑顔」に嘘があったわけではない。
会心の笑顔でトリノの地で輝きたかったはずだから。

ひとつの言葉にも様々な解釈の仕方があるし、
自ら発したコメントでさえ、その時には気付かなかった本心というのもある。
注目される立場、重責を負わされた者として、
万人から好ましいと感心される発言を求められるが、
並外れた能力をもったアスリートといえど、人であることには違いなく、
飾らない性格な上に、どちらかといえば饒舌であることが多い安藤選手は、
その分、余計な誤解もまねいてきたようだ。

だが、周囲の声に恐れることはない。
シナリオどおりにしか発言しない優等生である必要もない。

感情をコントロールすること。演技に感情を込めること。
スケーターとして大きな武器を手に入れた安藤選手が、
他の誰にもない表現力で観衆を魅了するように、
人間味あふれる愛すべきキャラクターのまま自分らしくあればいいのだ。

これから本格的にシーズンが始まれば、取材に応じる機会も増えるだろう。
どんな言葉を聞かせてくれるのか、どんな安藤選手に会えるのか、
ファンは心待ちにしている。

「前回より何百倍も強い気持ち」で、
「会心の笑顔」は、バンクーバーで見せてくれればいい。


posted by マキティ at 23:02| Comment(10) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月15日

HACHI 約束の犬

来年か再来年には TV で放映されるだろうから、その時でいいと思っていた。
予告編だけで泣きに泣いた話を映画館まで足を運んで観る、
などという勇気のいることはとても出来ないと思っていた。
「 HACHI 約束の犬」
今週はじめ、 劇場で鑑賞することになろうとは、
我ながら、思いがけぬ行動をとったものだと感心している。

1987 年に公開された「ハチ公物語」は、
忠犬と呼ばれた秋田犬(あきたいぬ)ハチの物悲しい姿をかわいそうに思ったのか、
ポロポロ泣いていた息子に少々気をとられた感もあったが、
物語が淡々と描かれていたからこその、切々と胸に迫るものがあった。

「 HACHI 約束の犬」は、舞台を東京からアメリカ東部の架空の街へ移し、
時代設定も、現在より少し前の話としてつくられている。
かつて忠義心の象徴として描かれていたハチの姿は、
国境を越え時空を越え、さらに種を越え、家族愛のひとつとして描かれていた。

大学教授パーカーと彼に育てられたハチとの、愛と絆を軸に、
パーカーとその妻、娘との愛もふんだんに描かれているあたりは、
さすがにアメリカナイズされた、解かりやすく受け入れやすいものだった。


ベッドリッジ駅で迷っていた秋田犬の仔犬を保護する場面から物語りは始まる。
連れ帰った仔犬を拒む妻ケイトのために、飼い主を探すこととなるが、
ハチにボール遊びを教えようと夢中になって地面に這いつくばるパーカーの姿を見て、
ケイトの頑なな態度も一転、ようやく家族の一員となる。
ハチを可愛がるパーカーの優しさは、
先住犬を失い、それ以来閉ざされていたケイトの心も解してしまった。

パーカーは、時に困った行動をとるハチに振り回されながらも
細やかで、暖かい愛情をハチに注ぐ。
成長したハチは、大学勤めのパーカーを誰に教わるということもなく
毎日駅へ、送り迎えをするようになるのだった。
駅周辺の人々もそんな「ふたり」を優しい目で見守っていた。

ところがある朝ハチは、駅までの見送りを躊躇する。
怪訝に感じるパーカーだったが、しかたなく駅へと向かう。
少し遅れて、ボールをくわえたハチが駆け寄ってきた。
これまで何度試みても「とってこい」をしなかったハチが、
ボールを投げてくれ、というのだ。
初めての出来事に喜ぶパーカーだったが、
ハチはこの日、何かを感じていたのだろう。
家を出るときためらったのも、ボール遊びをして気を引こうとしたのも、
パーカーをこのまま行かせたくなかったからに違いない。
いつものように、夕方にはハチに出迎えてもらう、そんな笑顔を残して
パーカーを乗せた列車はゆっくりとハチから遠ざかっていった。
その日、午後 5 時を過ぎ辺りが暗くなって、一人ぽつんと待っていたハチを
連れ戻しにきたのはパーカーの娘夫婦だった。

パーカーが亡くなった後、娘の家族と暮らすことになったハチは、
その家を飛び出し、ベッドリッジ駅へとパーカーを迎えにいく。
何度季節が移り変わっても、
「パーカーに会いたい」ただその想いで待ち続けるハチの姿は、
10 年という長い歳月に、ほこりにまみれ、うす汚れた老犬となっていた。
ある寒い冬の夜、ハチは夢をみた。
目の前に懐かしい靴。見上げればずっとずっと会いたかったパーカーがいる。
「ハチ、ずいぶん待たせたな」
愛するパーカーと、やっと会えたのだった・・・。


と、ストーリーを思い出しながら振り返ってみたが、
映画を観て驚いたことがあった。 
わが家には私が溺愛する猫、「 RONNIE(ロニー)」がいる。
ロニーの母猫の名前は「レイラ」、父猫の名前は「ルーク」、
うんと遡って小学生の頃に飼っていた雑種犬の名は「ケン」だった。
ここへきて「 HACHI 約束の犬」の裏方の話になるが、
ハチを演じた秋田犬(あきたいぬ)の成犬は 3 頭いて、
それぞれの性格から場面に応じて、つかいわけていたそうだ。
そのうちの 1 頭の名前は「レイラ」、
劇中、パーカーの孫の名が「ロニー」、
ケイトが可愛がっていた先住犬の名が「ルーク」、
パーカーの友人は「ケン」、
ここまでくると、何だか遠い親戚、身近にあった話のような気がしてくる。
だからかどうかは別として、
「 HACHI〜」を観てから、どうにも切なくてしようがない。


昭和のはじめ、実存したハチには忠犬説に対し異論があるという。
主人の死後も渋谷駅に現れる本当の理由は、
駅前の焼き鳥屋からのご馳走が目当てだった、あるいは、
ハチを可愛がる駅周辺の人達から食べ物をもらうため、というのだ。
私はこの説に、云いたい。
ハチは主人である大学教授の上野英三郎氏が亡くなってから、
落ち着き先を転々とすることになるが、最終的には、
上野宅出入りの植木職人、小林菊三郎氏のもとへいくことになった。
安心して眠れるであろう寝床も、食べる物にも困ることはないはずだ。
それでも上野氏が帰ってくる時刻にわざわざ渋谷駅まで出向いたのは、
ハチが上野氏に会いたかったからに他ならない。

人間はどこへ行ってもそれなりに、その場その場で付き合いもでき、
愛する人も含めて大勢と関わりをもって生きていくが、犬は違う。
自分を可愛がってくれる人、
本当に愛してくれる人がたった一人いれば幸せなのだ。
例えその人がいなくなっても、
強い絆で結ばれた愛が、心の中にありさえすれば幸せなのかもしれない。
その幸せを忘れたくないから、いや、忘れられないから、
ハチはあの場所に居続けたのではないだろうか。
上野氏、パーカーの愛を受けとるために。


11 日は結婚記念日だったので、夫婦で「 HACHI〜」を鑑賞した。
暗い映画館から明るい照明のところまで出て、お互いの顔を見て吹きそうになった。
「どんだけ泣いた?!」
私のメイクは見るも無残なことになっていた。
                             (コメント欄に補足あり)
posted by マキティ at 23:50| Comment(7) | TrackBack(0) | 可愛いモノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月08日

HACHI とリンダ

「ベッドリッジ駅、午後 5 時。駅にはいつも君が待っていた。」

このコピーで始まるわずか 1 分ほどの予告編を観て、涙が溢れた。
あまりに感動したものだから、家族にも観るようにすすめ、
家の者と一緒に、再度観ることとなったのだが、この時も涙が出た。
結局、予告編だけで 5〜6 回も泣いてしまった。

映画「 HACHI 約束の犬」は、
日本人なら誰もが知っている忠犬ハチ公の実話を、
1987 年に松竹が映画化した「ハチ公物語」のハリウッドリメイク版である。

8 月 8 日の全国公開を前に、7 月 7 日、
渋谷駅前において記念セレモニーが行われたが、
犬好きの私は、主演のリチャード・ギアが好きな俳優ということもあって、
片っ端からネットのニュースをチェックした。

オフィシャルの写真ギャラリーをながめているだけで、
すでに物語の内容を知っているだけに、またまた涙にくれてしまった。
こんなふうに私は、犬・猫が登場する話にめっぽう弱い。
映画やドラマを観ていても、主役そっち退けで端役の犬とか猫に気をとられ、
肝心のストーリーが頭に残っていないことさえある。

過去においても、例えば「禁じられた遊び」を
子供の頃に学校の映画鑑賞会で初めて観た時、
冒頭で、戦闘機からの銃撃で命をおとした仔犬?小型犬?のことが、
かわいそうでかわいそうで結局、戦争の悲惨さも何も理解できなかった。

地中から巨大なモンスターが出現し人々を襲う、
という、ある映画でも、登場していた 1 頭のワンちゃんが気になって、
話の展開も結末も、何という映画かさえ憶えていない始末なのだ。

こんなことを云いだすとキリがないので、「 HACHI〜」に話を戻そう。

毎日しごと帰りの主人を駅で迎え、亡くなってからも待ち続けた、
「ハチ」と名付けられた秋田犬(あきたいぬ)と、
ハチを可愛がっていた大学教授の愛と絆を描いたこの物語は、
22 年前、日本で「ハチ公物語」として映画化され、私はそれを TV で観た。
仲代達矢さん演ずる大学教授が帰らぬ主人となってからも、
そのことを理解できずに待ち続けるハチの晩年は哀れで、
健気な姿が愛おしく、胸が締めつけられるような切ない感動があった。
いっしょに TV を観ていた、まだ会話もままならないほど幼かった息子は、
ポロポロ泣きながら、しまいには号泣していたが、
ハチの姿は、こんな小さな子供の心までも動かしてしまうのだと、
私の記憶のなかで、感動の後押しになっている。

「 HACHI〜」の記念セレモニーがあった 7/7 は、
秋田犬の愛情深さや、犬と人との絆の普遍的な素晴らしさを、
あらためて想いおこしたり、
主演のリチャード・ギアの暖かい笑顔と人柄に惚れ直したり(笑)、
心優しい青年に成長した息子の、可愛い泣き顔を思い出したりして、
ひとり感慨にふけっていた。

犬の健気な可愛さに浸ったその翌日、
わが家のペキニーズ「リンダ」( 6 才、オンナのコ)に異変が起きた。
腰が立たず、後ろ足が麻痺してしまったのだ。
レントゲンを撮って見てみると、
本来ならば軟骨なので何も写らないはずの背骨と背骨の間の部分が、
1 個所だけ、うっすらと白くなっていた。
獣医師によると、おそらく椎間板ヘルニアではないかということだった。

応急処置としてレーザーを当て、神経を活発化させるビタミン剤をもらい、
数日は家でようすを見ることになった。

リンダは、自分に起こった異変に戸惑ったのか、痛みがあったのか、
初めのうちこそ大人しくしていたが、
足を引きずって移動することに慣れてくると、
それなりにピョンピョン跳ねたり、普通に食欲もあり元気なようすだった。
(安静にするよう云われていたのに、はっきりいって動き回っていた)

しばらく何度か通院し、今では麻痺していた足も徐々に動きだして、
幸い回復に向かっているようでホッとしている。

実は、6 月の半ば頃に遡るのだが、
猫のトイレの掃除をしていた私は、ギックリ腰になってしまい、
元々腰に疾患がある私は結構、ビビッていた。
悪くすると将来、下半身不随になる恐れがある、要は爆弾を抱えた腰だからだ。
今のところ日常生活に支障はないし、
ギックリ腰もずいぶん良くなってはきているが。

こんな話を聞いたことがある。
飼い主に降りかかるはずだった災いを、そこで飼われている犬や猫が
身代わりに受けるというのだ。

いつもはほったらかしにされて、
きちんとした世話もしてもらっていないリンダなのだが、
ペットショップで売れ残っていたリンダを私が気に入って
連れて帰ってきたことへの「恩返し」なのか。
私のギックリ腰が大事に至らなかったことと、
リンダのヘルニアのタイミングが、その話を思い出させた。

リンダは身を挺して私の痛みを引き受けてくれた、と云うと、
考え過ぎだろうか。

posted by マキティ at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 可愛いモノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月05日

REQUIEM

ああ、何ということだ。
何が起こったというのだ。
今日も空には太陽が輝き、雲はゆっくりと流れ、
鳥は木漏れ日の中で楽しげに囀っているというのに、
あなただけがいなくなってしまった。

信じられない。
こんなことは起こるはずもない。
そうか、誰かが悪ふざけをしているのかもしれない、
そうでなければ私は夢をみているのだろう。

嘘だと思いたい、何かの間違いだと。


あなたは何処へいった。
あなたは今、何処にいる。

いつも一緒に歩いたこの道。
木枯らしに冷たくなった私の手を暖めてくれた大きな手は、
もう、ここにはない。
日が暮れるまで遊んだ広場。
夢中で追いかけたあの背中は、もう見えない。

昨日の優しい微笑みに、もういちど会いたい。


激しい雨が窓をたたく夜が恐い。
心臓の音だけが聞こえる深い深い闇の夜が恐い。
恐ろしくて心細くて、あなたを求めるけれど、         
暗闇の向こう側に、一筋の光さえ見えない。                    
                              
運命は何ゆえに愛する者たちを分かつのか。            
大切な人を奪って、満ち足りた時を引き裂いた、
私に絶望だけを残して。

どうして、こんなことになった。
どうして私はこんな想いをしなければならない。
誰が悪かった、何がいけなかった。
わからない、わからない、わからない、わからない。


肉体がいつか滅びさってしまうのならば、   
魂は何処へ向かっていくのだろう。
安息を求めて天へと旅立っていくのか。
そこに痛みや苦しみのない、
安らぎに満ちた世界が待っているのであれば、     
私は祈る。
どうか、私の愛する人を受け入れて下さいと。


厚い雲が空を覆いつくし、雷鳴が轟いても、
いつかはその雲の切れ間に、眩い光が射す。
やがて、夜空には星が姿を現し、
生まれたての朝が訪れる。

今日をはじめる朝の光に、静かに眼を開ければ、
全てを受けとめた新しい私に気づくだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

PG の振り付けとは感じさせずに、
楽曲そのままを体現してみせた安藤美姫の「 REQUIEM 」。
そこには決められたエレメンツを、
教えられた通りにするだけのスケーターではない安藤選手の姿があった。


暗めの照明にピンスポットで浮かび上がった安藤選手の端正な顔立ちを
影が縁取る。神々しいほどの美しさだ。

Jr.時代の EX、恐らく「カルメン」だったと思うのだが、当時の、
無垢で恐いもの知らずの眼ぢからに、はっとさせられたことがあった。
「 REQUIEM 」では、
絶望の淵から幾度も這い上がってきた者だけが持つ、
凄みさえ漂わせるその眼に、哀しみや怒りが感じられた。
そう、観ているこちらが息苦しくなるほどの圧倒的な力で。

自信に満ちた、というと安藤選手は謙遜するかもしれないが、
少なくとも揺るぎない何かを得たようにみえたのだ。


心の奥底から湧き上がる感情。
それを演じきらせた、安藤選手のなかにある揺るぎない想い。

安藤美姫の「 REQUIEM 」は創られるべくして創られた、崇高な作品だといえる。

空高く、天へ捧げた祈りとして。

posted by マキティ at 23:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月31日

How many Miki's face

このオフはメディアへの露出が多かった安藤選手。

5 月「はなまるマーケット」「東京フレンドパークU」
6 月 28 日「おしゃれイズム」
7 月 5 日「ジャンクスポーツ!」
7 月 20 日「トヨタ ECO スペシャル地球不思議大紀行 生命の海の謎を追え!」

この他にも「とくダネ!」「すぽると」「J スポ」等でのインタビュー、
さらには新聞、雑誌にもとり上げられていた。

今シーズンはオリンピックイヤーということもあり
安藤選手が有力な代表候補の一人であることは間違いないので
スポットライトの当たる機会が増えるのも当然だろう。

スポーツニュースのインタビューでは
控えめな言葉の中にも今季にかける確固たる想いが感じられ、
アスリート安藤美姫の底知れぬパワーを垣間見ることができる。

が、バラエティ番組に出演した時の安藤選手は、まったく違う印象で
毎回驚かされる。いや、驚かされるなんてものじゃない、
同一人物とは思えないほどの天然ぶりで、
わが目、わが耳を疑うくらいに面白いキャラクターの持ち主だ。

VOGUE 誌を飾った美人であるにもかかわらず、
高飛車な感じ、気取ったところがない。
自身にまつわるエピソードのひとつひとつを語るようすが実に面白い。

このオフ、最初に驚かされたのは 6 月の名古屋での 1 日警察署長のニュースだ。
ひとめ見て、黒っ!と思った。
警察の制服姿に日焼けした顔が妙にリアルで、
こんな婦警さんなら逮捕されたい、
などという見出しもネット上ではあったほどよく似合っていた。

この日焼けはアメリカのアパートにあるプールで、
トレーニングをしたためと「おしゃれイズム」で冗談っぽく暴露している。

同番組での安藤選手の気取りのないおしゃべりは
聴き手の上田晋也さんの絶妙な切り口により何度も爆笑を誘い、
他にも変顔をしてプリクラで撮ったものを披露したり、腹踊りをしてみせたり、
ワンワンサーカスでは無邪気に参加し、
普通の 21 歳の女の子の自然な表情を余すところなく見せてくれた。
憧れの人として速水もこみちさんが登場してからは終始恥ずかしそうで、
照れて紅くなった安藤選手の顔は何とも可愛らしかった。

また「ジャンクスポーツ!」での
名古屋名物(?)小倉トーストの映像をモニターで見つめる表情は
ショーウィンドウのスイーツをじっと見ている小さい子供を思わせ、
無垢であどけない少女のように愛らしい顔だった。

アスリートとして真摯な態度でインタビューに応える大人な安藤選手と
飾らない、素顔のままの人柄が可愛く魅力的な安藤選手。
この「振れ幅の大きさ」は、いったい何なのかと思ってしまう。


「 Bring 'In Da Noise, Bring 'In Da Funk 」で魅せた
ダンサブルな演技にモロゾフコーチは、
スローなパートでは sexy にと指導したという。
美人が挑発的な衣装で激しく舞えば、それだけで sexy な PG に仕上がるが、
まだまだ安藤選手には照れがあるように思う。
マリリン・モンローやマドンナにでもなったつもりで演じきれば、
どれほど sexy でカッコイイだろうか。
それがサマになるスケーターは安藤選手の他にはいないのだから。

もうひとつの EX ナンバー「 REQUIEM 」は
「 Noise & Funk 」とは対照的ともいえるほど荘厳な PG で
この魂のスケーティングについては機会を改めて触れたいと思うが、
安藤選手の天に祈りを捧げるような、あの顔は、
もう、とにかく、筆舌に尽くし難いほど美しい、とだけ今は云っておきたい。


これまでの経験がもたらした内なる叫びを吐き出すように表現した、
魂のこもった滑り、その神聖なまでの美しさ。
それとは真逆の、健康的なエロティシズム。
等身大の、飾らない、少女のような可愛らしさ。
ファンの想いを大切にし、常に周囲への気配りも忘れず、
日々努力を重ねるアスリートとしてのひたむきさ。
VOGUE 誌の企画でスケートレッスンをした際の、小さい子供に向けられた、
晩年のオードリー・ヘプバーンのような慈愛に満ちたまなざし。

どれもこれも安藤選手そのものなのに、その表情は何と多彩なことか。
表情、表現の幅の大きさは、アスリートとしてだけではなく、
アーティストとしても、またひとりの人間としても、
実に魅力的で、その一瞬一瞬の輝きにどんどん引き込まれてしまう。


これからもいろいろな「顔」を見せてくれるにちがいない安藤選手。
私たちファンは、そのつど驚かされ、その魅力の虜となるだろう。

今シーズンが終わる時、
最高の笑顔に輝いた安藤選手に会いたい。

posted by マキティ at 22:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

ラウンジ 安藤美姫 #220

「ファンの人の言葉はすごく力にもなるし、
スケートを辞めたいと思った時もネットを見てすごく元気になった。
アメリカには周りに日本人がいないので、
ラウンジを見て、けっこう淋しいのをしのいだこともあったし、
応援していただいてもっと頑張ろうっていう気持ちにもなった。
最近は毎日ラウンジを見てメッセージも書いている。ちょっとお楽しみな時間。」
(フィギュアスケート・オフィシャル応援ブック 2006 の 16 ページから引用)

これは安藤選手がトリノ・オリンピックに挑む少し前に、
フィギュアスケート通信の「ラウンジ」についてコメントしたもので、
後に、07 世界選手権での優勝インタビューにおいても、
応援するファンへの感謝の意のなかに「スケートのラウンジっていうサイト」
という言葉で表現している。

そのラウンジが 5 月 31 日夜、何の予告もなく閉じられ、
アクセスできなくなった。


私が遅いネットデビューでラウンジに初投稿したのは、
優勝インタビューから随分日にちも過ぎた 07 の秋のことだった。
スケートファンが集まる掲示板、
安藤選手への応援メッセージを書き込むためのスレッドに、
その辺りの流儀も知らないで、挨拶もなしにいきなり、
自分の想いをぶつけるような書き込みをしたのが最初だった。

そこは、以前から長く書き込みをしている古参の方々、
優勝インタビューで一気に知名度が上がり集まってきた方々、
そして私のような新参者まで、大勢の安藤選手ファンが集い、
閑散としている他のスレッドを横目に、
それぞれの想いを、キーボードを打つ指に託して文章に仕上げ、
安藤選手のために何かしら力になりたいと綴られた膨大な量のメッセージが
集結するところであった。

純粋な気持ちをストレートにぶつけたもの、
技術や採点の仕方まで詳しく解説されたもの、
また、単純に情報として投稿されてくるもの、
内容は多岐にわたり、時には投稿者同士が互いの意向にそわず
議論に発展しながら、それでも、安藤選手のためにとの想いだけは共有していた。

また、嫌がらせや誹謗などもあり、殺伐とした様になることもあったが、
安藤選手が幾多の試練を乗り越えてきたように、
真摯なファンの多くは、心ない言葉に荒らされても共有した想いを大切にした。

ラウンジは選手ごとにスレッドが立てられていたが、
冒頭で記したように、安藤選手自身が書き込みをすることもあり、
他の選手への投稿数に比べて格段に多かった。
220 にも及ぶ、ブッチギリのページ数で。

安藤選手は忙しい身でありながら、ファンとの交流を大切にし
ジュニアの頃から今年の 1 月 25 日まで、何度となく書き込みをしてきたのだ。
例え心のない言葉に自身が傷つこうとも、それをはるかに上回る、
数え切れないほどの愛情に満ちたメッセージを受け取るために。


サイトを管理する側は並々ならぬ気苦労も多かったと想像がつく。
どういう事情があって、突然閉鎖してしまったのかは判らないが、
あの場を長い間、提供してくれたことへの感謝の気持ちがあるだけで、
それ以上のことを求めたりするのはやめておこうと思う。

ラウンジが無くなって 3 週間程になるが、
誰かが、例えば自分のブログなりホームページなりで、
この話に触れたりはしていないのだろうか。
それとも私はタブーを冒してしまっているのだろうか。

このブログの過去の記事で「某掲示板」と称してラウンジのことに
言及したことがあった。(某巨大掲示板とは別)
今さらだが、触れてはならぬもの、の感があったのかもしれない。
けれど、もはや姿を消してしまったラウンジに「ああ、そうですか。サヨウナラ」
と、あっさり忘れてしまうことが私にはどうしてもできなかった。

ラウンジが姿を消したひとつの伏線として、
「 Miki Ando & Fans 」なる掲示板が出来て、そちらにファンが移ったことも
あるのかもしれない。
その他にもファンが集まって語り合うことのできる掲示板やその類のサイトは、
私が知らないだけで存在しているだろうし、
スケーターを応援しているファンは行き場所を完全に無くしたわけではない。

だが、ラウンジは単なる掲示板を越えた「何か」であった
と云えるのではないだろうか。
そこには、スケーターとファンとの確かな絆があった。
姿かたちは映っていなくとも、それはまるで想い出のアルバムのようなものでは
なかったか。

緊張で身体中が震えた時も、高揚して眠れなかった夜も、
共に流した涙も、唇をかみしめて耐えてきた悔しさも、弾けんばかりの笑顔も、
他愛ないひと時さえも、
そのすべてを愛おしみながら、帰らぬ時を刻みつけた大切な場所。

まだあどけなさの残る可愛らしい言葉で綴ってくれた安藤選手の
一瞬、一瞬の輝きで満ち溢れた大切な場所。


「ラウンジ」〜休憩室、社交室、憩いの場、くつろぐ事のできる空間。

WEB 上ではアクセスできなくなってしまったが、
私たちの心の中から、あの想い出のアルバムが消え去ることはないだろう。

スケーターとファンとの想いが紡ぎだした強い絆だけは、永久に消えはしない。

posted by マキティ at 00:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月20日

赤と黒のフォトニュース

12 日発表された、バンクーバー五輪の代表選考基準によると、
男女各 3 枠のフィギュアは GP ファイナルで 3 位以内に入った日本人最上位者を
全日本選手権出場を条件に内定するとのこと。
さらに、12 月下旬の全日本優勝者は原則として選考され、
全日本 3 位以内、GP ファイナル進出者、全日本選手権終了時の
世界ランキング日本人上位 3 人を対象に総合的に判断され選ばれる。
また、過去に世界選手権 6 位以内の実績を持つ選手が
シーズン前半、怪我等で成績不振の場合は選考対象に加えられることもあるという。

このニュースが飛び込んできた時、
いよいよ 09-10 シーズンが始まるんだと実感した。
安藤選手には、是非とも五輪代表に選ばれてトリノの雪辱を果たして欲しい。


さて話は変わって、ドリーム・オン・アイス( DOI )が19〜21 日
新横浜スケートセンターにて行われている。
昨夜からネット上や TV、新聞でも話題になっているのが安藤選手のコスチュームだ。

真っ赤なブラトップに黒いミニスカート、黒革の手袋と黒いオーバーニー。
上半身を包むように身に纏っているのは背中部分が大きく開いた網目状の・・・・
これは何? 楔帷子(くさびかたびら)? 革の手袋は手甲のイメージ?
「Bring In 'Da Noise, Bring In 'Da Funk 」というタップ・ダンスの曲らしいので、
まさかその昔、忍者が防刃着として身につけていた楔帷子なんてことはない(笑)。
それにしても、なんと挑発的で sexy な衣装なのだろう。度肝を抜かれてしまった。
そしてこの姿が、安藤選手の抜群のスタイルを引き立てて、よく似合うものだから
フォトニュースはどれもこれも、一時、このカッコイイ安藤選手で満載だった。

今朝早く TV で少し映し出された、
ちょっぴり日焼けした健康的な笑顔の安藤選手は、活き活きと躍動感に溢れ、
充実したオフを過ごせたようであった。
元気そうで、何よりもそれが嬉しかった。

この DOI の模様は、TV 放映される予定だが、
ジャンプのキレもあり、スケーティングにも力を入れてきた、
となれば来週の土曜日が待ち遠しくてならない。

しばらくはショーが続く安藤選手。
体調と怪我にだけは気をつけて、観客との一体感を存分に楽しんで欲しいと思う。

posted by マキティ at 22:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする