2009年01月22日

目には見えないものに〜

科学の力によって、私たち人間の暮らしは、ずいぶん便利になりました。
この 10〜20 年だけを見ても、飛躍的な進歩を遂げていると云えるでしょう。
しかし、これをこうすればこうなる、ということを発見しただけで、
「無」から何かを作り出せるようになったわけではありません。
もともと地球上にあったものを利用しているだけです。
人間にわかっているのは、この世の成り立ちや仕組みの、ほんの一部に過ぎません。

科学で証明できない物事は頭から否定するような、傲慢な態度をとる人もいますが、
例えば、そういう人達は今まで何かに祈ったことはないのでしょうか?
お墓参りに行ったことがないのでしょうか?
験を担いだことはないのでしょうか?
これらは、もっともらしい理屈でお茶を濁されていますが、
科学的な根拠、あるいはこれらによる影響や効果等、証明されたものではありません。
にも拘わらず、多くの人がそういう行為をしているのです。
人智を越えた何か大きな力、エネルギーのようなものの存在を100%否定することが
できないからだと思います。

大昔から人はその「目に見えない力」があることを知っていて、
それを「神」と呼んで崇め、畏怖の念を抱いていたのではないでしょうか?

ある意味において、科学と対極の位置にあるのが信仰や宗教で、
日本では八百万(やおよろず)の神々がいると云われていますが、
神様は一人だけ、という宗教もあります。
教えも様々ですし、この世の成り立ちや、あの世の様子も、宗教ごとに違います。
どの宗教も、人々を救うために生まれてきたはずです。
しかし悲しいことに、争いごとや、戦争の原因になることがあるのも事実です。

また、言葉にもなんらかのエネルギー(言霊)があると言われています。
愛でるような言葉をかけながら育てた植物はよく育ちますが、
罵詈雑言を浴びせていると、他の条件は全く同じでも枯れてしまうそうです。
これは言葉のエネルギーだけではなく、植物にも感情があることがわかってきたので、
そのせいかもしれませんが。
言霊の存在を否定してしまうと、応援や声援はあまり意味がない、ということに
なってしまうでしょう。

と、言霊のもつ力や、「目には見えない力=神」を肯定したいがための強引な前置きを
してしまいましたが、 私は、無宗教です。
お宮参りや七五三の時には神社へ連れられ、挙式は教会で行うという、
良く云えば何ものにも囚われない、悪く云えば節操のない人間です。
もっと云うと普段は、信仰、はたまた霊能力や超能力(予言、占いの類)等を
積極的に信じて何らかの行動を起こすということはありません。
信じても、祈っても、どうしようもない現実があるからです。
理不尽なこと、許し難いことが後を絶たないからです。
だからといって「目には見えない力=神」を否定するのではなく、
そういう大きな力の前には、人間の無力を感じてしまう、ということが云いたいのです。

私という、ちっぽけで在りきたりな人間。
とてつもなく大きな目には見えない力の前に、自分の無力さを思い知らされるのです。

どんなに大切に想っていても、自分は何にもしてあげられないんだと・・・・。



それでも。

美姫ちゃんの力になりたい、何としてでも苦境から救ってあげたい。
降りかかる試練、不運を取り除きたい、そう届けられるものなら、
人智を越えたエネルギーのような大きな力に全身全霊を込めてこの想いを届けたい。

美姫ちゃんのスケート人生が成功するなら、
美姫ちゃん自身の人生そのものが幸せになるなら、
私は自分の寿命がちょっとくらい短くなってもいいとさえ思う。



自分の力ではどうしようもない時、
信じる信じないに拘わらず、目に見えない力に頼ってしまうものだと云いますが、
すべての真実、すべての真理は、さて置き。
「美姫ちゃんのためなら」という想いだけは、この胸のなかに確固たる姿で存在します。
そして、目には見えない力に入魂の愛で届けるべく、
今年も美姫ちゃんを応援していこうと思っています。

posted by マキティ at 17:25| Comment(8) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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