2011年04月04日

生きているということ

3/29朝、義姉が脳梗塞で亡くなった。
とても良い人で、兄が結婚した時、
「この人だったら、お兄ちゃんはこの先ずっと幸せだ」と思ったほど気の良い人物だった。
私とも仲良しで、会うのが楽しみになるような本当に本当に良い人だったのに。。
子供は来年、高校受験だというのに。。
それよりなにより、まだ40代の若さであまりにも早すぎる、そんなショックで目覚めた朝、
起きようとした自分の身体に異変。。。。。。。

左足に力が入らない。
左手だけに何か重い、違和感がある。
頭によぎったイビチャ・オシム氏のCM。

実は前日の夜にも左足だけに、力が入りにくいようなダルイような感じがあった。
その時はさほど気にもせず、長時間、膝の上に猫がいたから。くらいにしか
考えなかった。
ところが、この朝に感じた異変は「このままではマズイことになる」瞬時にそう思わせる、
切羽詰ったものだった。。。

義姉のこともあって家の中はバタバタしていたけれど
同居している母親に付き添ってもらい病院へ。

CTの結果では、まだはっきりとした影はなく、症状から判断しての脳梗塞ということで
その場で入院ということになったけれど。。。

慌てた。

そのつもりで受診していなかったから、まず身の回りのものがない。
猫ふたりと犬ひとりが気になる。
当然自分の今後が気になる。

さてどうしよう。。。


義姉が亡くなったその日に同じ病気、脳梗塞で自分が入院することになるとは。

まだ若い義姉の不幸、入院の慌しさに言葉を失いそうになったけれど、
喪失感の漂う、その空気がイヤでわざと冗談を言ったり、明るく振舞っていた。
本当は、どうしていいか判らないくらい動揺していたのに。

医者には、
今の左側の手足に出ている脱力感が改善されるか、症状が進んで悪化するか、
どちらになるか現時点では予測できない。と言われた。
なにしろ、この日の血圧は上が230(下は忘れた)という高い数値。
この血圧の高さが諸悪の根源である、ということだけはどんな無知な人間にでも、
容易に理解できるくらい高い数値だ。

肝心の治療はというと、脳にできたであろう血栓を取り除くための点滴を朝夜2回。
血圧を下げるのは、この緊急な処置をしばらく続けてから、退院後に内服薬を開始。
というものだったが、この点滴。あまり好きな人もいないと思うけれど私の場合は、
「点滴をする」と聞いただけで憂鬱になるくらい苦手なのだ。

血管が細いがゆえに看護士を手古摺らせ、
こちらは痛い思いを我慢しているにもかかわらず何だか申し訳ない雰囲気になるし、
大量の水分が体内に取り込まれることでトイレが近くなって、でも、
針が刺さった腕では用を足しづらい。このストレス満載な時間を、
じっと耐えなければならないものだから、物凄く物凄く苦手だ。

点滴の苦痛。入浴できない不快感。プライバシーの隠しようがない院内生活。
これらを我慢しながら、最短で1週間。
症状の推移を診るために入院するということになり。。。

経過を整理すると
3/29火曜日入院。
翌日には、ほとんど元通りに手足が動くようになるも、
4/1金曜日に再度CTを撮った結果、当初見えなかった影を確認。
やはり脳梗塞をおこしていたことが判明。
ただ、幸い顔面に引き攣りもなく言語に障害もなかったので、全体の症状としては軽度、
後遺症というほどの不自由もない、ということで、
1番短い1週間、すなわち4/5火曜日退院と医者から言われた。

それなのに。。。私は。。。

たった少しの時間も我慢できず、4/3日曜日に家に帰りたい、自由になりたいと、
もうほとんど、ダダッ子のように訴えて、半ば強引に3日(日)午前中退院してしまったのだった。

本当はまだ、完全に回復していないのに。。。。。。。


4/3日曜日に帰宅したのはいいけれど、案の定、家の中を歩くことすら心もとない。
2日早めて退院することに反対した母親の前では
何でもないような顔をしているが、内心は左足の頼りない感触に怯えている。
といっても病院に居たところで、あと4回点滴を多くするだけのことなのだけれど。
医者にも看護士の皆さんにも「大丈夫」とごまかして、
本当はまだ少し、力が入りにくいことを言わなかったことが、
誰にということでもなく何か後ろめたいし、正直なところ不安だし、歩くことが怖い。

いい大人がワガママを言って、耐えられるはずのことを我慢できなかった代償が
この後ろめたさと不安なんだろうと思うと情けない気がしてくる。
ネットで調べてみると、脳梗塞の治療は軽度であっても初めの1週間が
やはり大切らしいから、たった2日と思っていた自分が悔やまれる。
もし、何かが起きてもそれは幼稚な嘘をついた罰だろう。
自分の気持ちを優先させた私。。。

3週間前の東日本を襲った大地震と原発事故。
多くの尊い生命が失われた哀しみは日を追うほどに傷を深くしている。
そんな中、東京ワールドが中止になったことを私は、酷く嘆いていた。
被災された方々を見舞う気持ちは当然あるのだけれど、
正直な胸のうちには、何故この時期に。どうして。どうしてという気持ちを
拭えずにいた。
自分の気持ちを押さえられなかった私。。。

あの大地震と原発事故さえなければと恨みがましく思っていたが、
震災がなければオシム氏のCMがあんなに何度も放送されることはなかっただろうと思う。
おそらく私は自分の異変をやり過ごして、もしかすると
こうしていることも叶わなかったのかもしれない、とさえ思う。
あってはならない廻り合わせとしか言いようがない。
廻り合わせといえば義姉のこともそう。
身内のなかで同じ脳梗塞になることはあっても、
不幸が起きてしまったその日、バトンのように発病するなんてことがあるだろうか。
気の良い義姉が「気をつけてね。用心してね。」と伝えてくれたかのように。


大好きな安藤選手が「一瞬一瞬を大切にして、これからも頑張っていく」と
バンクーバー五輪のあとに話していたけれど、
その意味が今ようやく実感となって、本当に身にしみて分った気がする。

生きているということ。

幻に終わった東京ワールドに執着したことも
ワガママを言って医者のいうことを撥ね退けて家に帰ったことも
生きているからできたこと。

可愛い猫と犬に囲まれていながら時に振り回されて愚痴ることも
安藤選手のことで四六時中いっぱいになっていることも
愛する家族の顔を見て言葉を交わすことも
こうしてPCのキーボードに手を乗せていることも全て
生きているからできることなんだ。



posted by マキティ at 19:50| Comment(12) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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