2009年02月05日

人間・安藤美姫

今日の生活において、CG による映像を目にしない日はない。
その分野の知識は欠片もないが、そもそも CG(コンピューターグラフィックス)とは、
コンピューターを用いて描いた画像や動画のことだというのは、誰でも知っている。

20 年ほど前になるが、グラフィックデザインをしている人間に
「コンピューター処理された画は好きではない」と話したら、
「高い技術での画像を見たことがないからだ」と一蹴されたことがあった。
それからというもの、自分の固定観念を取り払うべく、
CG による優れた作品に親しむよう心がけた。

確かに CG によって描かれた画像は色彩も鮮やかで非常に綺麗である。
映画などでは、滑らかな動きを施したリアルな映像に驚愕する。
実際の撮影セットに頼ることなく非現実的な世界をも楽しむことができる。
さらに今となっては当たり前のように、
実写による映像にもコンピューターによって処理、調整がされていて、
日常的に CG による作品を目にするようになっている。

高い技術による、より綺麗なもの、よりリアルなもの。
まさにそれは驚異の世界であるといえる。

だがそこに、
血の通った生命の鼓動や暖かなぬくもりを感じることはない。

子供の頃、授業中に描いた画が子供二科展で入賞して
新聞の片隅に載ったことがあって、母親に連れられて美術館に何度か足を運んだ。
大人になってからも、数回だが美術館で絵画を鑑賞する機会に恵まれた。
そこで目にしたものが私に語りかけた、いや、なにかを訴えてきたような
不思議な感覚が、遠い記憶の中で忘れられずにいる。

作者が描きたかった想い。
想いという言葉だけでは語り尽くすこともできない「情熱」がほとばしっていたのか。
触れば伝わりそうなぬくもり、息づかい、誘うがままの甘美な香りさえも感じ、
息苦しいほどの「生命の鼓動」に、身体全体が包まれたような感動を覚えたのだった。

作者は、それぞれの作品を生み出すにあたって、
どれほど心血を注いで、数知れぬ苦労の末に完成させたのであろうか。

カンバスに向かってただひたすらに、生命を吹き込んだのだ。
情熱を絵筆に託して。


話は変わるが、音楽好きの私にも、どうしても受け入れられない「音」がある。
それは、リズムマシン、あるいはコンピューターでプログラミングされたビートや
シンセサイザーの音である。
今はサンプリングという技術によって、生の音をコンピューターに取り込み、
それを自由自在に操ることができる。
犬や猫の声でメロディラインを奏でている曲を CM で耳にされたことはないだろうか。
あれがサンプリングである。
本物の犬や猫を歌えるように訓練したわけではない。

また、ドラムの音をサンプリングして鳴らすと、ちょっと聴いただけでは
人間が叩いているのかと思ってしまうほどである。
だが、すぐに違和感を覚える。あまりにも正確すぎるのだ。
人間は全く同じ強さで叩いているつもりでも、厳密にいえば毎回、微妙に違う。
完璧に同じ音というのは2度と出せないと云っていいだろう。
サンプリングは1つの同じ音(音源)を繰り返すので、
正確さは人間とは比べ物にならない。
ドラマーは、正確なビートを刻めるように日々練習を重ねるのだから、
それで良さそうなものだが、やはり人間とコンピューターとでは何かが違う。
ドラムといえど、曲に合わせて緩急や強弱をつけ、他のメロディを奏でる楽器や
ヴォーカルの感情表現を助けている。
曲のリズムのジャストのタイミングよりもほんの僅か、早いか遅いかで、
ドライブ感を出したり、重い感じにしたりすることができる。
それは、乱暴に云ってしまえば音の「バラツキ」なのだが、
この「バラツキ」こそ、その人独特の持ち味となり、感情も表現し得るのだろう。

いずれそういうこともプログラミングできるようになるかもしれないが、
コンピューターに個々がもつ感情表現まではできるとは思えない。
ないものは表現のしようがないからだ。


高い技術を駆使して創り上げた綺麗なもの、正確なものよりも、
その時々で変わる個のもつ感情表現の面白さ、
あるいは血の通った生命の鼓動や暖かなぬくもりに、どうしようもなく惹かれる。
そこに数え切れない苦労の跡や、日々の生々しいまでの痛みさえも感じるからだ。

フィギュアスケートにも同じことが云える。
優れた身体能力をさらに練習で磨き上げて難度の高い技を織り込んだ演技には、
驚嘆することはあっても、それだけでは感動を覚えることはない。

身体能力の高さを存分に活かした演技なら、
確かに見事ではあるし、ずいぶん綺麗なものを観せてもらった気分になるだろう。
また、いつ観ても同じ、計ったように確実な演技だったとしたら、
安心して観ていることもできるだろう。

けれど、もしもそれだけならば、私がフィギュアスケートに観たいのは、
綺麗なだけの人形や高性能な精密機器、コンピューターではないと云いたい。

安藤選手に心が惹かれるのは、
その演技のなかに高い技術をもってして創り上げたものだけではない、
人間らしさに溢れたものを感じるからだ。「人間」そのものと云っていい。
だからそこに「芸術」の息吹きを感じるのかもしれない。

安藤選手を襲った悲しみ、痛みは、胸の奥深くに隠され、
それが憂いとなって銀盤を削る氷の煌めきさえ、彼女の涙のようにみえる。
悲しみを内に秘めた翳りのある表情は、この世のものとは思えないほど美しい。
また、挑発的で、射るような眼差しには燃えるような情熱を感じる。
熱い血潮から湧きあがるように昂ぶる想いが、観る者の心を惹き込む。

人形やコンピューターにはとうてい表現できない人間味溢れる演技、
まざまざと生命の鼓動を観せてくれるのが、安藤選手なのだ。

だがここに1つ、ある疑問を感じずにはいられない。

数知れぬ悲しみと痛みを胸の内に秘めた安藤選手の演技に、
人間らしい感情や生命の鼓動を感じ、魂が揺さぶられるような感動を覚えている私は、
安藤選手にエールを送り、また何より彼女の幸せを願っているはずではなかったか。
安藤選手の演技に感動するのは、彼女のなかに悲しみや痛みがあるからなのか。

その答えは安藤選手の未来におのずと出されるだろう。
未来を信じているから、
彼女のいくつもの涙を分かち合うように観ているのだ。


〜悲しみと痛みを知っている者にこそ、最高の喜びが待っている〜




posted by マキティ at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは☆

マキティさん、(子供)二科展入賞ってすごいですね! 

私も絵画好きです。 クリムトのファンなんですが、あまりにも絵にパワーが有り過ぎて、見てると動悸がする時があるので部屋には飾れません。 それぐらい心抉られるものを感じるのです。 これってきっと作家とユーザーとの相性なんですよね。

音楽は、ベートーベンの「悲愴」が私のテーマ曲で、落ち込んだときはコレを聞いて、「この悲しみが明日の新しい私を創ってくれた!」と、気合を入れなおせます。

フツフツと湧き上がるような静かな強さを持ったものが好きです。
私には、安藤美姫という表現者が、そのままです。
Posted by キャリー at 2009年02月05日 01:59
こんにちは。

マキティさんの仰っていること、私はすごく分かるような気がします。
例えば音楽。私も正確に刻む機械的なリズムよりも、何と言いますか、“人間的な音”のするものが好きです。
これは「好き嫌いの問題」なのかもしれませんが、私は“温もり”の感じられるもののほうに惹かれます。

安藤選手は技術的にも大変優れていると思うのですが、演技に人間的な「温もり」が感じられるので、よりとても大好きです。

フォークシンガーのさだまさしさんの言葉で好きな言葉があります。
「“玉に瑕(きず)”っていうけど、傷のない玉なんていうのは人間味がなくておもしろくない」
なるほどなあ、って思います。

それから、これまた大好きな中島みゆきさんの言葉です。
「“幸せ”という字は、“辛(つら)い”という字の上に付いているちょっぴりの点を“十”という字に変えれば“幸せ”になるんです。十分ツラくて人は初めて幸せになるんです。どうか、くじけずに頑張ってください!」

ちょっと長くなりました。ごめんなさい。
Posted by まこっちゃん at 2009年02月05日 09:26
キャリーさん、こんにちは。

美術館で鑑賞したのはもうずいぶん前のことになるので、その時の記憶を辿りながら、
絵画好きだったことも思い出しながら(笑)記事に織り込んでみました。

私は柔らかで、暖かなぬくもりのあるモネやルノワールの作品が
基本的には好きですが、
哀愁が漂う何ともいえない街角を描いたユトリロの世界も好きです。

小・中学校の頃、自分の描いた画が、知らないあいだに学校を飛び出して
美術館に出展されていたことが何度かあったので、
その気になってしまい、高校時分は油絵に没頭したりしていました。
てっきり、美大か芸大に進学するものと親は思っていたでしょう(笑)

脱線してしまいましたが、
「フツフツと湧き上がるような静かな強さ」は、
今の美姫ちゃんが、正にそうかもしれませんね。

Posted by マキティ at 2009年02月06日 13:45
まこっちゃんさん、こんにちは。

「正確に刻む機械的なリズムよりも、人間的な音のするものが好き」
そうですよね、まったくそのとおりなんです。
温もりや、ペーソスを感じるものに、ヒューマニティーがあるのだと思います。

ただ能力が優れているというだけでは、心に訴えてくるものがありません。
心、魂を揺さぶられるような感動は機械的なものからは生まれないものです。
図らずも辛い経験を重ねてきた美姫ちゃんから感動をもらっているということが、
私たちファンにとっては何とも辛いところではありますが・・。

さて、私の好みの音楽はバラバラでジャンルの特定はできませんが、
まこっちゃんさんがお薦めの?さだまさしさんなら、「遥かなるクリスマス」が好きです。
それと「案山子」。
東京で暮らす息子を想うだけで涙が・・・(T T)

失礼しました。

Posted by マキティ at 2009年02月06日 18:25
マキティさん、久しぶりです。Yoliです^^

マキティさんが語る美姫ちゃんの話はいつも熱くて愛情がたっぷりですね^^ 詩的な表現も凄いですね。読んでておもわずうんうんと同感するところがたくさんあって大好きです。

美姫ちゃんの演技は本当に人間らしさ、人間の感じるものが見てる方も感じられてそこが大好きです。美姫ちゃんの演技はなんだろう、大会で審査員たちに評価されるだけのためではなく、いつも美姫ちゃん自身が歩んできた人生と感情が伝わってくる。それはきっとどんな状態でも試合一つ一つに一生懸命挑む強い思いと精神力から生まれてるんだと思うんですよ。本当に凄いです。

個人的に美姫ちゃんにはベートーヴェンの運命交響曲を一度でいいから踊って欲しいといつも思ってます。あくまでも個人的な意見にすぎないけど。とにかく有名な曲だし、人生の山や谷をなんども乗り越えた美姫ちゃんなら、運命の壮大でドラマチックな音と共に美姫ちゃんの世界を十分に魅せてくれると思います。冒頭の「ダダダダーン」っていうところでモロゾフコーチ特有の顔撫で振り付けやったらすごくかっこいいかも知れないといつも想像したりして。

それではマキティさん、いつも愛情たっぷりの文章楽しみに待ってます^^ また遊びにきますね。長くてつまらないコメントすみませんでした。
Posted by Yoli at 2009年02月09日 02:02
Yoli さん、こんにちは。

美姫ちゃんの演技からは、というより美姫ちゃんがリンクに登場しただけで
感極まって涙がこぼれることがあります。
安藤美姫というスケーターから放たれる圧倒的なオーラ。
なんというか、恐ろしいほどの美しさ。(もちろんいい意味で)
そして演技からは、熱い涙が込み上げてくるほど、生命の鼓動を感じさせてくれる感動があります。

Yoli さんがおっしゃるように、
美姫ちゃんにはドラマチックな楽曲がよく合っているようです。
「交響曲第 3 番オルガンつき」もそうですが、
ベートーヴェンの「運命」も
非常に難しいでしょうけれど、挑戦し甲斐はありそうですね。

また是非ともお越しください!

Posted by マキティ at 2009年02月09日 12:57
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