2010年06月30日

サヨナラ安藤美姫〜新しい安藤美姫に出会うために

オリンピックから 4 ヶ月、世界選手権から 3 ヶ月の月日が流れた。
どう言葉にすればいいのか判らなかった。
思いのまま胸の内を綴れば大切な人に迷惑をかけるかもしれないし、あらぬ誤解を招くことにもなりかねない。
頭を支配した言葉は収拾がつかないまま時は過き、結果的にその過ぎた時間が、
今ようやくブログを再開する気持ちにしてくれたのかもしれない。

バンクーバーオリンピックが私にくれたもの。
それが何であったのか今さらツラツラ書いたところで、もはや 2010〜2011 のグランプリシリーズの派遣先まで決まった今では、時すでに遅しで興醒めもいいところ。
では何を書くか。
正直に云うと実はまだ、記事にするような文章として何らまとまっていない。
そしておそらくこの先も、このたびの五輪については真っ当な記事は書けないと思う。
それでもブログを再開しようというのだから、少し強引な気がしないでもないが。



オリンピックの開会式は、あのトリノ五輪からよくぞここまで辿り着いてくれたと、
安藤選手のこれまでの苦難の道のりを思いかえしながら自然と涙がこみあげた。
加えて、数日後に迫った競技本番に気持ちは先走り、高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。
体調を崩さずに、いい緊張感を保ちながら無事に当日を迎えて欲しいと、
ただひたすら祈りながら。

今回のオリンピック、フィギュアスケート女子シングルのショートプログラムが行われたのは日本時間 2 月 24 日の昼前後。
会場となったバンクーバー、パシフィック・コロシアムがテレビに映し出されたときには現地では雨が降っていた。
空に向って安藤選手へ届くよう願いを込めたが、雨は意地悪くその想いを遮ったのかもしれない。いや、そんな生易しいものではなかった。
60 点台後半、70 点近く出ると思われた渾身の演技「レクイエム」のスコアが出た瞬間、安藤選手の表情が強張ったように、私の心も凍りつき、あの瞬間から思考が狂い始めたのだから。
4 年前、トリノ五輪のフリーの演技は日本時間で 2 月 24 日早朝だったが、
バンクーバーの「 2・24 ショック」はトリノのそれより、一段と複雑な感情のなかで、
どうにも昇華されずに今日まで引きずり続けることになってしまったのだ。

安藤選手の会見のなかに、すべてが凝縮されていた。
「点が出すぎだと思った試合もあったし、もうちょっと出てもいいと思った試合もあった」
これは選手の言葉だけに留まらず、八木沼純子さんの解説からも採点基準の曖昧さを感じざるを得ず、不可思議な疑問というより理不尽な結果として私を悩ませ、
ISU 、JSF 、果ては憤りの矛先をコーチにまで向けてしまった。
策士といわれる程のモロゾフコーチをもってして、戦略に間違いはなかったか、十分なコレオであったか。
そもそも「レクイエム」ほど荘厳で神聖なプログラムを 2 分 50 秒という短い時間、
ショートプログラムにしてしまうことに無理はなかったか。
「ボンドガール」に対抗できたのは「スパイダーウーマン」だったのではないかとまで思う始末。

26 日のフリーで、ほぼミスのない「クレオパトラ」を演じきった安藤選手に
歓喜とともに惜しみない拍手を贈ったにも拘わらず、私の心は澄みきった青空のように晴れることはなかった。

安藤選手は、オリンピック直後のインタビューで
「完ぺきな演技ではなかったが、4年に1度の舞台で最後はミスなく演技できて頑張ったと自分に云える。初めて心からスケートをやっていて良かったと思った」と振り返り、また、
「今回感じた幸せを忘れずに、人とのつながりを大切にしていきたい」とのコメントもあった。

私のなかの悔しくてならない想いと、安藤選手が得た達成感には、大きな隔たりが存在していたのだ。
ショートプログラムで3―3回転に失敗し「凄く自分に対して悔しかった」と云った言葉のように、悔しさを溢れさせた安藤選手ならば、気持ちの整理のしようもあったのかもしれない。
そのことが、採点に対して納得のいかない私を余計に混乱させた。

支えてくれる人、応援してくれる人に感謝の気持ちを込めて滑ったと話した安藤選手。
4 年前の恐怖心に打ち勝ち、足の竦むような緊張をも克服して見事に成長を遂げた安藤選手のこんなにも誠実で、清々しい姿勢に「ありがとう」の言葉しか云えず、
口惜しい想いに苛まれていた。

3 月の世界選手権は、ショートで 11 位と出遅れるも、
フリーは「見る人の心に残る演技をしたい」と計 7 度のジャンプをすべて着氷する圧巻の演技で、最後のポーズでは大きく口を開けてリンク上に笑顔を弾けさせた。
「スピードも出ていたしバンクーバー五輪よりいい気持ちで終われた。精神的に弱い自分に区切りをつけたかった」の言葉どおり、安藤選手を長く苦しめたオリンピックと、
4 年前の五輪と同じ会場のトリノの地の呪縛から、これでようやく解放されたのだった。
憑き物が落ちたような喜びと、演技中に見せた何ともいえない愛らしい表情とラストのビッグスマイルに一時、凍てついた心も溶かさせたが、
それでも、私の心に雨上がりの虹がかかることはなかった。

バンクーバーオリンピックもこの大会でも、表彰台に上がる選手は
初めから決まっていたとしか思えない採点のされようだったからだ。

安藤選手はよく「結果だけではない。人に伝わる演技をしたい」という趣旨のことを口にする。
ショートに選んだ「レクイエム」は、逝ってしまった大切な人たちへ祈りを捧げたもので、同じような哀しみをもつ人々の心に響く、安藤選手だからこそ演じることの出来たプログラムだった。
そこに、どれほどの想いが込められていたかはいうまでもない。

安藤選手が求める人の心に伝わる演技。
そういう演技を望み、それが安藤美姫らしさだと、大勢のファンと想いを共有している。
というより選手が求めるものをファンも支持していたいと、意識的にそうしているのかもしれない。
だが、私の考えは少し違った。

ジャネット・リン選手が尻もちをつき、その笑顔の愛らしさは世界中の人々の心に残るものだったが、もしもあの時、表彰台を逃して惨敗していたとすると結果はどうだっただろう。歴史は変わっていたはずだ。

人の心に伝わる演技をするというのは非常に大切ではあるが、競技選手であれば当然のことながら結果も求められ、ファンが「応援する」という行為の根底には贔屓の選手の好成績を期待していることは否めない。
でなければ手に汗を握り呼吸も止まらんばかりに声援を送るのは、いったい何のためだろう。
選手のほうもスコアボードに一喜一憂するのは何のためだろうか。

今回のオリンピックに安藤選手が求めたものは、
感謝の気持ちをもって滑ることだったのか。
人に何かを伝える演技をすることだったのか。
トリノ五輪で自分の夢を叶えることに執着して失敗した悪夢を払拭することだったのか。
私の心がそう叫んだ。

以前、ブライアン・オーサー氏がこう語ったという。
「キム・ヨナが完璧な演技をすれば次元の違うものになる」
実際、2009〜2010 シーズンのキム・ヨナ選手は誰も追随できないと思わせるほど見事だったと認めざるを得ないし、
どの選手も持てる力を出しきったとき、素晴らしいものになるだろうことは判っている。

私は云いたい。
安藤選手が持てる力を出しきり完璧な演技をしたとき、
本来の安藤美姫らしさが姿を現したときこそ、
まさに次元の違う、誰にも超えられないものになると。

いうまでもないが安藤選手は国際大会で 4 回転ジャンプを成功させた唯一の女子選手である。
どういう理由か彼女に厳しい回転不足の判定に泣いてはきたが、
難しいとされるルッツーループの 3 回転コンビネーションも安藤選手ならではのジャンプだ。
さらに云えば 3 回転ジャンプはアクセルを除けば 5 種類で跳んでいる。きちんと矯正した文句のつけようのないエッジで。
こうした技術的なこともさることながら、最近では表現力においても安藤選手でなければできない、内から湧き出る魂の叫び、生命の鼓動を感じさせてくれる。
力強いジャンパーとしての天性の素質と、幾度となく降りかかった艱難辛苦を乗り越えてきた安藤選手の感性が実を結び、オーサー氏の云う完璧な演技に到達したとき、
どれほどの感動を覚えるだろうか。
想像して欲しい。
安藤選手がひとつひとつ、難しいジャンプを成功させ全てを解き放して活き活きと躍動する姿を。弾けんばかりの笑顔を。
それはきっと後世に語り継がれ、人の心に永く記憶される「伝説」になるだろう。

本物のアスリートだけが追求できる領域、他の追随を許さない次元の違う演技は、
安藤選手みずから求める、観る者の心に伝わる演技と必ずリンクすると確信している。

だが、そんな完璧な安藤選手に私はまだ会っていない。
今回のオリンピックで会いたかったはずの安藤選手とは、すれ違いに終わってしまった。

精神的に弱い自分に区切りをつけた安藤選手に吹いた爽やかな風は、
エゴを拭いきれずにもがいている私に吹くはずもなく、悶々とした日々を過ごした。
想いはすれ違っていたが、バンクーバーをひとつの目標にして今日までを生きてきたのだと思い知らされた。

安藤選手がいたから、夢を追いかけられた。



昨年、私は携帯を変えた。カラーはゴールド。
この春は携帯を手にするたびに待ち受け画面の金メダルを掲げた安藤選手に、胸がしめつけられたが、「本当の私は弱っちい」そう云っていた安藤選手が、
「精神的に弱い自分に決別」したように、
このブログを更新することで、ひとつの区切りをつけよう。

バンクーバーは通過点であったのだと。
本当のゴールは、まだ見ぬ安藤選手に会ったときなのだと。

安藤選手は未来に向けて、もうすでに始動している。

posted by マキティ at 23:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
記事を読み目頭に涙がにじみました。私も安藤美姫選手を応援しています。昔の彼女からは圧倒されるもの感動が自然にわき手が痛くなるほど手を叩き演技に興奮したのですが最近は見ていてそのすごみが違ってきているような、悲しい気持ちになります。私は切に願うのですがジュピターのラストの部分でスケートを表現して欲しーーーいです。今度のオリンピックで彼女のゾクッと魂が震えるあの感動を又みたい!のです。他のスケーターでは物足りない、安藤美姫でなくては!
Posted by 近藤かしこ at 2010年09月22日 12:36
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