2009年03月29日

2009 世界選手権

2009 世界選手権( Los Angeles 開催 )安藤選手の結果

SP 64.12 で 4 位

3 Lz+3 Lo <
3 F
2 A
SpSq 4
FSSp 3
SlSt 3
CCoSp 4
LSp 2


FS 126.26 は 2 位

3 Lz+2 Lo
2 A+3 T
3 S
CCoSp 4
SpSq 4
3 Lo <
3 Lz
3 T+2 Lo+2 Lo
2 A
FSSp 3
SlSt 3
FCoSp 4

TOTAL SCORE 190.38 となり銅メダル獲得
2010 オリンピックの出場枠「 3 」を確保することに貢献した

詳細は後日に



posted by マキティ at 15:55| Comment(7) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

フィギュアスケーターへの敬意

最近、TV の視聴率が伸び悩んでいるらしい。
私自身はそれほど TV が好きなほうではないのだが、それでも以前と比べると、
見たいと思う TV 番組が減ってきているのは確かである。
なにも懐古趣味というのではないが、昔のほうが良い番組を作りたいという、
作る側の気概や想いのようなものが感じられたからに他ならない。

ある程度企画も出尽くして、なかなか新しいアイデアも出にくいのかもしれないが、
どのチャンネルを見ても似たような番組か、
今までにはなかったけれども、ただそれだけ、というような番組ばかりで面白くない。
ドラマひとつとっても、漫画が原作という作品がやたらと目につく。
もちろん漫画にも優れた作品はいくらでもあるだろうから
全面的に否定しているのではなく、TV 化に際しての作り方が安易というか、
こうも溢れかえってくると短絡的に企画しているように感じるのだ。

過去に高視聴率を取った番組をパターン化し、
それがなぞらえているばかりでは見るほうも飽きてきて当然である。
TV が娯楽の主流だった時代なら、それでも視聴率は取れたかもしれないが、
いまや CS やケーブル TV は多チャンネル化し、インターネットでも
動画や番組は配信されている。視聴者の選択肢は格段に増えているのだ。
ところが、地上波民放各局は広告収入の激減から、経費削減だの、
大物タレントのリストラだのと制作費を削ることばかりに躍起になっている。
それでは質の良い番組などできるはずもない。

そもそも、それ以前にもっと早く気づくべきことがあるのではないか。
過剰な、それも不必要な演出にウンザリしている視聴者が増えていることに。

フィギュアスケートの試合の中継に出てくるタレントに、
スケートに対する見識や愛情はあるのだろうか。
大相撲の番組にデーモン小暮氏が出演するのは納得がいく。
デーモン氏は長年にわたって相撲への深い愛情をもち、
尚且つ豊富な見識を持っているからだ。
だがゲストと称して番組の宣伝のためにタレントが出演したりするのはいただけない。
彼や彼女へのインタビューが選手に対してのそれをカットしてオンエアされては
納得のしようもない。

また、野球やラグビー、格闘技などは正に対決し勝敗を決めるスポーツだ。
だがフィギュアスケートは、結果的に順位がついてしまうとはいえ
優勝者以外の選手が敗者というわけではない。
それなのに勝敗のみをクローズアップし、対決ムードを煽る。
優勝争いに絡んでいない選手はまるで無視するかのようだ。
選手に対しての敬意がまるで感じられない。


と、制作者側への不満を述べたが、
本当のところ、視聴者側にも問題があると感じてしまうのは私だけではないだろう。

フィギュアスケートは「勝敗だけがすべて」ではない。
選手それぞれの技量はもちろん、
衣装や音楽、それらを総合した芸術としての楽しみ方がある。
もっと云えば選手の個性やそれまでのドラマ等も合わせて見処はたくさんあるはずだ。
にも拘わらず、誰が優勝するのかと、そのことばかりに関心が傾く視聴者が
増加しているのだとすれば、こちらも短絡的と云わざるを得ないだろう。

「勝つ」ことにしか興味をもてなくなってしまった視聴者にこそ、
本来のフィギュアスケートの楽しみ方を思い出して欲しい。

選手一人ひとりのドラマに愛情をもち見守るように観戦、鑑賞していきたいものである。


来月、世界選手権が開催される。
安藤選手はもちろん、出場するすべての選手がどんな想いでその日を迎えたのか、
勝敗だけではなく、そのことも念頭においたうえで番組作りをして欲しいと思う。



posted by マキティ at 00:02| Comment(8) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月05日

人間・安藤美姫

今日の生活において、CG による映像を目にしない日はない。
その分野の知識は欠片もないが、そもそも CG(コンピューターグラフィックス)とは、
コンピューターを用いて描いた画像や動画のことだというのは、誰でも知っている。

20 年ほど前になるが、グラフィックデザインをしている人間に
「コンピューター処理された画は好きではない」と話したら、
「高い技術での画像を見たことがないからだ」と一蹴されたことがあった。
それからというもの、自分の固定観念を取り払うべく、
CG による優れた作品に親しむよう心がけた。

確かに CG によって描かれた画像は色彩も鮮やかで非常に綺麗である。
映画などでは、滑らかな動きを施したリアルな映像に驚愕する。
実際の撮影セットに頼ることなく非現実的な世界をも楽しむことができる。
さらに今となっては当たり前のように、
実写による映像にもコンピューターによって処理、調整がされていて、
日常的に CG による作品を目にするようになっている。

高い技術による、より綺麗なもの、よりリアルなもの。
まさにそれは驚異の世界であるといえる。

だがそこに、
血の通った生命の鼓動や暖かなぬくもりを感じることはない。

子供の頃、授業中に描いた画が子供二科展で入賞して
新聞の片隅に載ったことがあって、母親に連れられて美術館に何度か足を運んだ。
大人になってからも、数回だが美術館で絵画を鑑賞する機会に恵まれた。
そこで目にしたものが私に語りかけた、いや、なにかを訴えてきたような
不思議な感覚が、遠い記憶の中で忘れられずにいる。

作者が描きたかった想い。
想いという言葉だけでは語り尽くすこともできない「情熱」がほとばしっていたのか。
触れば伝わりそうなぬくもり、息づかい、誘うがままの甘美な香りさえも感じ、
息苦しいほどの「生命の鼓動」に、身体全体が包まれたような感動を覚えたのだった。

作者は、それぞれの作品を生み出すにあたって、
どれほど心血を注いで、数知れぬ苦労の末に完成させたのであろうか。

カンバスに向かってただひたすらに、生命を吹き込んだのだ。
情熱を絵筆に託して。


話は変わるが、音楽好きの私にも、どうしても受け入れられない「音」がある。
それは、リズムマシン、あるいはコンピューターでプログラミングされたビートや
シンセサイザーの音である。
今はサンプリングという技術によって、生の音をコンピューターに取り込み、
それを自由自在に操ることができる。
犬や猫の声でメロディラインを奏でている曲を CM で耳にされたことはないだろうか。
あれがサンプリングである。
本物の犬や猫を歌えるように訓練したわけではない。

また、ドラムの音をサンプリングして鳴らすと、ちょっと聴いただけでは
人間が叩いているのかと思ってしまうほどである。
だが、すぐに違和感を覚える。あまりにも正確すぎるのだ。
人間は全く同じ強さで叩いているつもりでも、厳密にいえば毎回、微妙に違う。
完璧に同じ音というのは2度と出せないと云っていいだろう。
サンプリングは1つの同じ音(音源)を繰り返すので、
正確さは人間とは比べ物にならない。
ドラマーは、正確なビートを刻めるように日々練習を重ねるのだから、
それで良さそうなものだが、やはり人間とコンピューターとでは何かが違う。
ドラムといえど、曲に合わせて緩急や強弱をつけ、他のメロディを奏でる楽器や
ヴォーカルの感情表現を助けている。
曲のリズムのジャストのタイミングよりもほんの僅か、早いか遅いかで、
ドライブ感を出したり、重い感じにしたりすることができる。
それは、乱暴に云ってしまえば音の「バラツキ」なのだが、
この「バラツキ」こそ、その人独特の持ち味となり、感情も表現し得るのだろう。

いずれそういうこともプログラミングできるようになるかもしれないが、
コンピューターに個々がもつ感情表現まではできるとは思えない。
ないものは表現のしようがないからだ。


高い技術を駆使して創り上げた綺麗なもの、正確なものよりも、
その時々で変わる個のもつ感情表現の面白さ、
あるいは血の通った生命の鼓動や暖かなぬくもりに、どうしようもなく惹かれる。
そこに数え切れない苦労の跡や、日々の生々しいまでの痛みさえも感じるからだ。

フィギュアスケートにも同じことが云える。
優れた身体能力をさらに練習で磨き上げて難度の高い技を織り込んだ演技には、
驚嘆することはあっても、それだけでは感動を覚えることはない。

身体能力の高さを存分に活かした演技なら、
確かに見事ではあるし、ずいぶん綺麗なものを観せてもらった気分になるだろう。
また、いつ観ても同じ、計ったように確実な演技だったとしたら、
安心して観ていることもできるだろう。

けれど、もしもそれだけならば、私がフィギュアスケートに観たいのは、
綺麗なだけの人形や高性能な精密機器、コンピューターではないと云いたい。

安藤選手に心が惹かれるのは、
その演技のなかに高い技術をもってして創り上げたものだけではない、
人間らしさに溢れたものを感じるからだ。「人間」そのものと云っていい。
だからそこに「芸術」の息吹きを感じるのかもしれない。

安藤選手を襲った悲しみ、痛みは、胸の奥深くに隠され、
それが憂いとなって銀盤を削る氷の煌めきさえ、彼女の涙のようにみえる。
悲しみを内に秘めた翳りのある表情は、この世のものとは思えないほど美しい。
また、挑発的で、射るような眼差しには燃えるような情熱を感じる。
熱い血潮から湧きあがるように昂ぶる想いが、観る者の心を惹き込む。

人形やコンピューターにはとうてい表現できない人間味溢れる演技、
まざまざと生命の鼓動を観せてくれるのが、安藤選手なのだ。

だがここに1つ、ある疑問を感じずにはいられない。

数知れぬ悲しみと痛みを胸の内に秘めた安藤選手の演技に、
人間らしい感情や生命の鼓動を感じ、魂が揺さぶられるような感動を覚えている私は、
安藤選手にエールを送り、また何より彼女の幸せを願っているはずではなかったか。
安藤選手の演技に感動するのは、彼女のなかに悲しみや痛みがあるからなのか。

その答えは安藤選手の未来におのずと出されるだろう。
未来を信じているから、
彼女のいくつもの涙を分かち合うように観ているのだ。


〜悲しみと痛みを知っている者にこそ、最高の喜びが待っている〜




posted by マキティ at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

目には見えないものに〜

科学の力によって、私たち人間の暮らしは、ずいぶん便利になりました。
この 10〜20 年だけを見ても、飛躍的な進歩を遂げていると云えるでしょう。
しかし、これをこうすればこうなる、ということを発見しただけで、
「無」から何かを作り出せるようになったわけではありません。
もともと地球上にあったものを利用しているだけです。
人間にわかっているのは、この世の成り立ちや仕組みの、ほんの一部に過ぎません。

科学で証明できない物事は頭から否定するような、傲慢な態度をとる人もいますが、
例えば、そういう人達は今まで何かに祈ったことはないのでしょうか?
お墓参りに行ったことがないのでしょうか?
験を担いだことはないのでしょうか?
これらは、もっともらしい理屈でお茶を濁されていますが、
科学的な根拠、あるいはこれらによる影響や効果等、証明されたものではありません。
にも拘わらず、多くの人がそういう行為をしているのです。
人智を越えた何か大きな力、エネルギーのようなものの存在を100%否定することが
できないからだと思います。

大昔から人はその「目に見えない力」があることを知っていて、
それを「神」と呼んで崇め、畏怖の念を抱いていたのではないでしょうか?

ある意味において、科学と対極の位置にあるのが信仰や宗教で、
日本では八百万(やおよろず)の神々がいると云われていますが、
神様は一人だけ、という宗教もあります。
教えも様々ですし、この世の成り立ちや、あの世の様子も、宗教ごとに違います。
どの宗教も、人々を救うために生まれてきたはずです。
しかし悲しいことに、争いごとや、戦争の原因になることがあるのも事実です。

また、言葉にもなんらかのエネルギー(言霊)があると言われています。
愛でるような言葉をかけながら育てた植物はよく育ちますが、
罵詈雑言を浴びせていると、他の条件は全く同じでも枯れてしまうそうです。
これは言葉のエネルギーだけではなく、植物にも感情があることがわかってきたので、
そのせいかもしれませんが。
言霊の存在を否定してしまうと、応援や声援はあまり意味がない、ということに
なってしまうでしょう。

と、言霊のもつ力や、「目には見えない力=神」を肯定したいがための強引な前置きを
してしまいましたが、 私は、無宗教です。
お宮参りや七五三の時には神社へ連れられ、挙式は教会で行うという、
良く云えば何ものにも囚われない、悪く云えば節操のない人間です。
もっと云うと普段は、信仰、はたまた霊能力や超能力(予言、占いの類)等を
積極的に信じて何らかの行動を起こすということはありません。
信じても、祈っても、どうしようもない現実があるからです。
理不尽なこと、許し難いことが後を絶たないからです。
だからといって「目には見えない力=神」を否定するのではなく、
そういう大きな力の前には、人間の無力を感じてしまう、ということが云いたいのです。

私という、ちっぽけで在りきたりな人間。
とてつもなく大きな目には見えない力の前に、自分の無力さを思い知らされるのです。

どんなに大切に想っていても、自分は何にもしてあげられないんだと・・・・。



それでも。

美姫ちゃんの力になりたい、何としてでも苦境から救ってあげたい。
降りかかる試練、不運を取り除きたい、そう届けられるものなら、
人智を越えたエネルギーのような大きな力に全身全霊を込めてこの想いを届けたい。

美姫ちゃんのスケート人生が成功するなら、
美姫ちゃん自身の人生そのものが幸せになるなら、
私は自分の寿命がちょっとくらい短くなってもいいとさえ思う。



自分の力ではどうしようもない時、
信じる信じないに拘わらず、目に見えない力に頼ってしまうものだと云いますが、
すべての真実、すべての真理は、さて置き。
「美姫ちゃんのためなら」という想いだけは、この胸のなかに確固たる姿で存在します。
そして、目には見えない力に入魂の愛で届けるべく、
今年も美姫ちゃんを応援していこうと思っています。

posted by マキティ at 17:25| Comment(8) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月29日

安藤美姫は強くなる

2003 年 12 月、前日の SP で 2 位につけた安藤選手が
FS では 4 回転に成功して逆転の初優勝を飾った長野ビッグハットが
今年の全日本選手権の舞台となった。

先日のグランプリファイナルでは 4 回転サルコウに挑み見事に着氷するも
回転不足をとられ得点は伸びなかったが、
確かな手応えを掴んで臨んだ今大会であった。
27 日の練習ではジャンプの調子も良く、想い入れの深い長野の地で
5 年前の逆転優勝の再現を期待したファンも多かったはずだ。
しかし、
FS 、第 4 グループの 6 分間練習でまたしても不運が安藤選手を襲った。
各選手が最終チェックをする緊迫した空気のなか、
村主選手の進路上を安藤選手が後ろ向きに滑走していた。
とっさの出来事に避けられなかったのか、
そのまま衝突して両者とも激しく転倒した。
村主選手は瞬間の痛みだけですんだようだが、
安藤選手は怪我を負ったのか、脚をかばうようにしながら
明らかに狼狽したようすだった。
その後、ジャンプを試みるが脚に不安を抱えた状態で、
練習時間を少し残し、早めにリンクから引き上げたのだった。

不意を襲った衝突事故は、
この大会に向けて集中してきた心にも傷を負わせた。
村主選手にも、安藤選手にも。

安藤選手の演技は、終盤 1 つ転倒こそあったが、
大きく崩れることのない気迫に満ちたもので、
何が何でも次の舞台に繋いでみせるという強い想いが感じられた。
そして、 見事に滑りきった。
TV を観ながら私は泣いた。
あまりの出来事を目の当たりにして、
何故こうも安藤選手には悲劇がつきまとうのかと、ただただ嘆いた。
だが、いつもなら涙が尾をひいて、
あのアクシデントさえなければ、4 回転を成功させて
優勝できたかもしれないと悔しい想いが頭を支配していたであろう私が、
まったく違う感覚を覚えたのだ。

試合直後のインタビューで
「不安な気持ちで臨んでしまった」
と反省の言葉を口にしていた。
試合直前に思いもよらぬ怪我を負っても、左右されない精神力で
FS に向かいたかった、と安藤選手本人は思っているようだが、
痛みと不安のなかで大崩れすることなく、よくぞ滑りきったと思う。
また、Sportsnavi のコラムで
神様からご褒美がもらえるとしたらという問いに、
「自分を信じる気持ちを持たせて欲しい」と応えているのを目にした。
自分を信じる強い気持ち。
アスリートとしての大切なものが今はまだ備わっていない、
あるいは、「自分を信じる」ことができない、というのだ。
できないもの、足りないものに、はっきりと気づいているのであれば、
精神的な強さにもまだまだ伸びしろがあると云えるのではないか。

トリノオリンピックでの惨敗は
「しーちゃんと同じやつ獲りたい」の想いを心に刻み、
06 全日本では、肩の痛みに耐えぬいたからこそ
翌年の世界選手権で優勝することができた。
今年 3 月世界選手権での途中棄権からは、
故障と向き合ったからこそのスケートへの強い想いで這い上がってきた。
今回の全日本も右脚の痛みと闘いながらも、
結果 3 位を死守して、来年 LA での世界選手権の切符を手に入れた。

安藤選手はどんな状況に追い込まれても、必ず何かを掴む。
ひとつひとつ、本当に不器用なまでにゆっくりとした歩みではあるが、
確実に大きく成長し続けている。
どん底からリンクへと何度も何度も帰ってきてくれるのだ。
心を揺さぶる鮮やかな復活劇となって。


私は確信している。


安藤選手はこれからもっと強くなる。



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2008年12月21日

安藤美姫の支えになりたい

21 歳になった 18 日の深夜(正確には 19 日 00:10 〜)
「すぽると」で「安藤美姫 再び輝くために」が放送された。

インタビュー中、スケートに対して
「好きなだけではやっていけない。好きなだけでやっていたいけど」
という言葉があった。
美貌と才能に恵まれ、フィギュアスケートの世界で
今日まで生きてきた選手の正直な、しかしながら考えさせられる言葉だった。

好きなことで、好きな道で自分の存在価値を求め、結果、
それを実感できれば、これほど幸せなことはないであろう。
だが、ただ好きなだけでは誰も、何も成し得ないことは
頭の中で理解はできていても、人がそのことを忘れてしまっているのも事実だ。

憧憬と羨望のまなざしを集めたその裏側には、
それと引き換えに失わざるを得なかったものも、
人知れず涙した苦悩も、たゆまぬ努力も、
期待されるが故の計り知れない重圧があることも、決して忘れてはならない。

某掲示板で、こんな書き込みがあった。
「重荷を軽くしてあげたい。
 日本の片隅でこじんまりと応援している気持ちが何かしらの力になれば」
慎ましい想いが私の胸を打った。

そもそもファンというのは、熱心な支持者や愛好者、fanatic の短縮形をいう。
応援するあまり熱狂的、狂信的なまでに頭に血が上り、
ストーカーまがいな行動をとる者は問題外として
選手の心情や状況を考えもしないでサインを求めたり、
記念撮影を強要したりなど、無神経なファンが少なからずいるようだ。
また愛情も度が過ぎると、ああして欲しい、こうして欲しいと意見を押しつけたり、
自分の理想の型に、はめようとさえする。
その結果、掲示板などで、それぞれの見解の相違から
選手の気持ちそっちのけの言い争いにまで発展してしまったりもする。
期待をしてしまう気持ちは判らなくもないが、
どんな時でも選手の気持ち以上に大切なものはないのだ。

「好きなだけではやっていけない」
期待され結果を求められる選手の重圧を少しでも軽減できるよう、
励みとなって、それを力に変えられるよう、応援する側は心がけなくてはならない。

日本の片隅で、安藤選手のために支えになりたいという慎ましくも
衷心からの想いこそが本来のファンのあるべき姿だと思う。


ファンが、応援という形で間接的に選手を支えているのだとすれば、
選手の身近で、直接支えている方達もいる。
選手のご家族やコーチ、トレーナーの存在はいうまでもなく、
練習場となるリンクのスタッフの方々、関係企業など、枚挙に暇がない。
そして、あまりにも当たり前すぎて見過ごされがちなのが、
スケート靴の職人の方達である。

スポーツ関係の仕事をしている知人によると、
12 月 25 日に発売される「Number 719 号」に特別企画として
別冊「もうひとつの物語り」が入るそうだ。
記事のテーマは「安藤美姫を支える力」というもので、
スケート靴に関する内容ということだが、
別冊の表紙と巻頭記事には安藤選手の写真が掲載されるという。
全日本選手権開催日でもある 25 日を楽しみに待ちたいと思う。



ファンとして、
選手を支えたいという想いは決して傲慢であってはならない。
このことを忘れないようにしよう。

「好きなだけではやっていけない」
例えそうであっても、
「好きだからやっていける」そんな安藤選手でいられるために。


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2008年12月18日

Miki’s 21st BIRTHDAY

sagittaius.jpg          

氷上に咲いた一輪の花は
眩しい陽の光を 優しく包む雨を
揺るぎなく根ざす力に変えて
観る者の心を魅惑の世界へといざなう

香りたつ花びらが舞い上がるように
煌めく氷を散りばめながら
銀盤に魂の叫びを刻み続ける

可憐な花が誇らしげに満開を告げるときまで
もしも暗闇ならば その道を照らす星達となって
涙も微笑みも分かち合いたい















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2008年12月14日

4 回転に挑んだ安藤美姫に捧ぐ

手を叩いて自らを祝福した。
美しいスケーターは控えめなガッツポーズをした後、
両手で顔を覆って喜びに目を潤ませた。


冒頭のジャンプ、リンクに描いた軌道は「もしや」と予感させた。
1. 2.. 3.. 4....崩れることなく着氷したそれは、
解説者がトリプルサルコウと口にしたほど軽やかに決まった
4 回転サルコウだった。

そのあとのフリップジャンプは着氷で体勢が崩れるも、
ダブルアクセルからのコンビネーション、スピン、スパイラルと
綺麗に決めてみせた。
後半、ルッツからのコンビネーションを含めた 4 つのジャンプも
次々と決めていき、
終盤のステップ、スピンも大きなミスなく滑り終えた。

結果は 4 回転をはじめとする いくつかのジャンプで回転不足をとられ、
得点は伸びなかったが、
5 年ぶりに公式試合で 4 回転サルコウを見事に着氷してみせたのだ。

フリーの曲目を『交響曲第 3 番オルガンつき』に変更。
韓国入り前には右肩を痛め、充分な滑り込みが出来なかったにも拘わらず、
7 つのジャンプ要素すべてを転倒することなく滑り終えたのだった。
しかし、この偉業をメディアが大きく取り上げることはなかった。

GP シリーズ前、
『すべての試合で 4 回転を入れていくつもりで練習している』と、
公言したとはいうものの、
安藤選手に向けられる興味はそれだけか、と思われるほど
マスコミの扱いは冷たいものだった。

当時 14 歳の少女が、Jr.GPF で女子選手として初めての 4 回転を
跳んだ時から 6 年。
誰も挑戦すらしなかった 4 回転に安藤選手自ら果敢に挑んだことや
回転不足とはいえ着氷したことは大きな歴史的 1 歩であったにも拘わらず、
生中継に近いかたちの TV 放送は、
賛辞を贈るどころか、何事もなかったかのように あっけなく終わった。

シーズン途中で PG を変更することは、よくあることかもしれないが、
じっくり取り組めるだけの時間があったとは思えない。
まして 直前には右肩を痛めた、最悪の状態。
もしこれが他の選手であったら、
男子さえ難しいとされる 4 回転を含め、ディダクションなく滑り終えたであろうか。

4 回転に挑んだ安藤選手の満足そうな顔を見た時、
そしてそれが得点と順位には結びつかずに、
静かにキス&クライを後にした、切ないほどに美しい姿を見た時に、
云いようのない想いが胸をしめつけた。

フリープロトコルを見ると、
『4S』の左側に『<』マークがついている。
その他のジャンプにも回転不足を示す『<』マークがついているが、
『4S』についた忌々しい『<』を 私は
頭の中の消しゴムで泣きながら消した。



不死鳥は自ら火口に身を投げて灰の中から何度も甦るという。

安藤選手には、どんなに厳しい状況、逆風の中であっても何度も何度も甦って
どこまでも高く羽ばたいて欲しい。
燃える魂を内に秘めた美しいスケーターが目指す至高の世界へと。

Miki Ando is Phoenix. Spread your wings and fly away !

posted by マキティ at 23:01| Comment(32) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

GP ファイナル〜空に想う

GP ファイナル進出が決まってシニアとしては 4 度目の参戦となります

過去の成績は 04 北京で 4 位 
05 東京大会 4 位 
06 サンクト・ペテルブルク(ロシア)では体調不良のため 5 位でした
昨年はNHK 杯の不調によりファイナルへの出場ならず
結果 1 度も表彰台に上がっていません

今季こそ 3 位以上の成績をとの声はありますが
個人的には得点や順位よりも
4 回転の練習が報われることを期待しています
何よりも 怪我などのアクシデントのない状況で
美姫ちゃん自身が満足できる結果になるよう祈るばかりです


Sportiva 1 月号の青嶋ひろのさんの記事や 
WFS No.35 に掲載された美姫ちゃんのインタビューを拝見しましたが
バンクーバーオリンピックを見据えた取り組むべき課題
あるいは競技選手としてのモチベーションの維持の仕方について
語られていました

「勝ちたい」
という 競技者であれば当然もつであろう気持ちを
今の美姫ちゃんが剥き出しにすることは殆どありません
「何かを伝えるような 心に残る演技をしたい
その結果としてご褒美があれば嬉しい」・・・
「勝ちたい」気持ちが まったくないのであれば
ショーで演技を披露するプロスケーターになって
世界選手権のあと競技に戻ってきたりはしなかったはずです
心の底にある「勝ちたい」気持ちは
「しーちゃんと同じやつ獲りたい」の言葉のなかに
慎ましくも断固として息づいていると信じて疑いません

ただ いつもいつも表彰台の真ん中を目指す必要もないと考えます
言葉にするのは簡単ですが生身の人間には当然 好不調の波があり
それはあまりに過酷でしょう
大きな故障を抱えた 繊細な神経のもちぬしでもある美姫ちゃんには
なおさらだと思います
コンスタントに好成績をあげること
根のしっかりした選手になることを目標に
自分の身体と向き合いながらリハビリを含めたトレーニングに力をいれて
今季に臨んだ美姫ちゃんだからこそ 無理をせず
身体と心を労わり パワーの充電をしながら来季へと着実に歩を進めて
大切な舞台にこそ照準を合わせて欲しいと思います 



故障がなければ 充分な練習ができ着実に力をつけて
思い通りの結果を出すことも夢ではないでしょう
常勝することほど気分のいいものはないでしょうから
けれど もしも美姫ちゃんが 
出場する試合すべてで表彰台の真ん中に立てるスケーターだったとしたら
私は こんなに心惹かれることもなかったと思います

雨だれの音に耳をすませて何故か楽しい気持ちになったり
どんより分厚い雲に不安になったり
地面を叩く激しい雨と 響きわたる雷鳴に身をすくめたり
天使の羽のような雪が舞い落ちてきたり
と 一口に空といっても様々な表情があります
いつ見上げても同じ青空だったら
人が空に想いを馳せることはなかったに違いありません

美姫ちゃんの昨シーズンはどしゃ降りのようなものでした
けれど降り続く雨もやがて止む時がきます
空が いろんな顔を見せてくれるように

そして虹は 雨上がりにこそ美しい姿を見せてくれるのです

posted by マキティ at 22:59| Comment(18) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月25日

天は試練と引き換えに〜 安藤美姫に想う

『天は二物を与えず』 
天は1人の人間にそれほど多くの長所を与えることはしない という意味ですが
安藤美姫という女性に限っては
『天はニ物でも飽き足らなかったのか三物も四物も与えてしまった』
と云わざるを得ない そんな気がします

まず 女優さながらの美貌のもち主であることが 1 つ 
2 つ目として 人として美しくありたいという心の在り方 
さらに 3 つ目には 高い身体能力を持ち合わせていること
そして 4 つ目 これだけは余計でしたが 
天は与えてしまいました・・・・・・幾多の試練まで


まだ就学前と思われる小さい頃の写真を目にすることがあります
どの写真(画像)も目鼻立ちの整った可愛らしいお顔立ちをしているものばかりで
「この娘は美人になる」
と おそらく周囲の誰もが そう予見されたと思います
期待を裏切ることなく成長された この美しい人は
10 代半ばからすでに 日本人離れした手足の長さと共に
女性としての理想的なシルエットまで手に入れていました
光輝くような美しさはオーラを放ち ひときわ存在感があり
羨望の眼差し あるいは軽いジェラシーを含んだ目で
常に注目を集めることとなります

また 身体能力の高さは 超人的なものを授けられたのでしょう
15 歳を迎える直前 女子選手としては初めての 4 回転ジャンプに成功
( ISU 公式大会 )していることをはじめ
5 種類の 3 回転ジャンプを競技用 PG に入れ
難易度の高い 3 Lz+ 3 Lo のコンビネーションジャンプを
公式試合で何度も成功させています
「安藤選手の身体には歪みがない」
と地元のトレーナーのコメントにもあるように
トップ・アスリートとしての素質に恵まれた
まさに「フィギュアスケートをするために生まれてきた」
世界に羽ばたく逸材であると云えます

と ここまでだけなら
女性としての美しさだけでなく スケーターとしても高い身体能力に恵まれ
『天に二物を与えられた』この稀有な存在は
向かうところ敵なしの輝かしい競技生活が保証されたも同然でした

ところが美しいスケーターを待ち受けていたのは思いもよらぬ数々の試練でした

大切な人を失う哀しみは誰であっても辛いものですが
かけがえのない大きなぬくもりが突然消えた時
いつも傍で包み込んでくれていた柔らかな手が消えた時
励まし合い勇気づけてくれた小さな命が消えた時
眠ることも出来ない慟哭の夜が何日も何日もあったに違いありません
試練はそれだけにとどまらず
アスリートに怪我はつきもの では済まされない大きな故障を抱え
心ないバッシングという追い討ちまでかけられてしまいます
日本のフィギュアスケート界で ここまでメディアに翻弄された選手も
私の知る限りでは他に見当たらないほど・・・

しかし 天は
美しいスケーターに悪戯に試練を与えただけではありませんでした
往く手を阻む数々の試練は 歪むことなく卑屈にもならず
真っ直ぐで美しい心を育てる遠因にもなりました
弱者に手をさしのべる優しさや 
困っている人の役にたちたいという思いやりに溢れ
頑固なまでに生真面目で誠実なためか いい加減なことも出来ずに
いつも何かしら気持ちが張りつめている印象すらあります
人として美しくありたいと公言していましたが
人間としての心の在り方に 曇りのない純粋な切ないほどの美しさが感じられます

美貌と スケーターとしてのポテンシャルの高さと
乗り越えようともがいた幾多の試練と 自身と向き合ったからこそ磨かれた心と・・・

『天は試練と引き換えに より多くの恵みを授けた』

こうして安藤美姫は地上で最も魅力的な女性として
秘めた可能性を信じ 高みを目指して挑戦し続けようとしています


ひとつだけ美姫ちゃんに進言しておきたいことがあります

自分を磨くことに没頭しすぎて心身の疲労も多いと見受けられますので
過酷な競技生活で疲れた身体と 美しくも繊細な心を
労わってあげることを忘れないようにしていただきたいのです
故障した右肩のケアと 怪我をしない身体づくりが出来る環境を整え
心にも身体にも パワーの充電を怠らなければ
必ず思い描いた未来が待っていてくれるはずです

今季 そして来季に向けて

〜眩いばかりに輝きますように〜

posted by マキティ at 23:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 安藤美姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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